無意識日記々

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ユミちんヒカルちん

「ユミちん」「ヒカルちん」。この呼び合い方で妄想はとことん広がる。燃料投下というヤツである。どっちが先にちん呼びし始めたんだろう、カタカナなのはなんでなのか…

林檎姐さんの「名前」に対する態度は前頁に書かれてある。リンゴ・スターからとっさにつけて深く考えていた訳ではない、というのは初耳だったが、彼女のカリズマが35歳にして林檎呼ばわりに違和感を生じさせていない。一方、本名のゆみこ呼ばわりに関してはペルソナの消失を窺わせる発言をしている。

カタカナのバランス、である。ヒカルのヒカルは芸名である。本名はカタカナではない。だからといってプライベートでのヒカル呼びが芸名かというと単なる本名のカタカナ化なのかもしれない。区別はつかない。

ゆみこさんをユミちん呼ばわりするには何段階かのプロセスが必要だ。年齢的には幾らか林檎姐さんの方が上―だからいつも姐さん呼びなのだが―なんだが、流石にこの2人だと先輩後輩というより同輩感覚だ。いや、そもそもヒカルに"目上の人"なんて居ないのかもしれないけれど。

両方カタカナでバランスはとれているけど、そこに至ったプロセスは違うかもしれない。「林檎さん」「椎名さん」ではよそよそしく、2人の仲のよさだとちょっとそぐわない。それにプライベートだと椎名林檎のペルソナははずしているから基本本名のゆみこの方で、となった時に「ヒカル」「ユミコ」の呼び捨て路線に行っていないこの距離感。どうよ。

どうよと言われましても。ちん呼ばわりが醸す可愛らしさみたいなものをお互いが共有しているのが最大のポイントで、2人のもつ"男らしさ"みたいなものが脇に追いやられて仲睦まじい様子が伝わってくる。本来プロフェッショナルな空気を纏う2人―隣で折しも林檎姐さんが"こわい人"扱いされているし―が、そこらへんを削ぎ落として会話している感じ。悪くない。

そしてプロセスだ。最初は「ヒカルちゃん」だったんじゃないか。一箇所そう呼んでるし。それと対称を成すのが「ユミコちゃん」「ユミちゃん」だった可能性がある。ここでカタカナ化が行われ、程なく「ユミちん」に収束していった、と。「ユミコちん」は何だか語呂がよくないので自然消滅。つまり、ヒカルがカタカナなところから出発しているからゆみこもカタカナで落ち着いたのでは、と。


何やら気持ち悪い考察が続いているが結論は至って真面目だ。ここにあるのは、お互いに孤高の存在である2人が、数少ない"お互いを対等に呼び合える同業者"をみつけて喜んで戯れ合ってる姿である。この2人は業界内ではいわば異端で、またやけに志が高すぎる。ワーカホリックで研究者気質なところやストイックかつ大衆路線なところ、種々あるが、ゴジラvsモスラティラノサウルスvsトリケラトプス(嗚呼、恐竜のチョイスで歳がバレる)のような、よきライバルと仲良くできてる心地よさがここからは伝わってくる。普段座長として場を仕切る役割を担う2人が自らの役割を矮小化して接し合える喜びがこの「ちん」には凝縮されている。音の響きのせいで幾ら真面目にしゃべってもそこはかとなくおもしろおかしくなってしまうのは既に2人の術中にハマってしまっている証かな。