無意識日記々

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意地で維持

モチベーションのもう一つの課題として、ヒカルの制作における完成度の高さがある。何の話かというと、リリースに漕ぎ着けた楽曲に関して"次への課題"が存在しない点だ。

ヒカルの場合、ある着想がやってきたらそれに食いついていけるとこまでいってしまう。よって、後の楽曲に「なんとかのパワー・アップ版」みたいなものが存在しない。要は、一曲リリースしたらその上位互換は作らないのだ。

課題を次に持ち越せないとしたら、次の楽曲に取り掛かる時は「一から白紙」である。何だか「はいからはくち」みたいだがそれは関係ないぞ。「今回こうだったから次回はこうしよう」というものの質が限定されるのである。

完成度の高い作品は周囲を黙らせる。あそこはこうした方がいいとかの議論も巻き起こらない。ただひたすら、好みかどうかだけが問われる。それがヒカルの狙いだからそれはそれでいいのだが、出来上がった作品同士の対比、つまりリリース順やアルバムの収録曲順などについては考えられるものの、なんというのだろう、炎上商法なんていう言葉が流行るような今のご時世では地味にすら映る。

それでも昔のように力づくで売れるなら問題はないのだが、果たして現実にそうなるのか。

にしても、ここは本当に、モチベーションの維持をどうやっているかが謎な部分だ。恐らく、貰って受けたオファーは必ず果たすという性格が起因だろうか。つまり、意地である。モチベーションの維持の為に意地を張っているとしたら…駄洒落だな…。

でも、そうなんじゃないかと思う。母・藤圭子の性格からして「目の前にあるもののクォリティーを上げる事にこだわる」人だったのだし、ヒカルにもそれは受け継がれている。それがあるのなら、モチベーションの維持も心配ではない。

ただ、そのやり方は確かに疲れる。今までそうだったからといって、これからもそうなるかどうかはわからないが、もうほんのちょっぴり緩めれたら、更に持続可能なスタイルになるだろう。意地も張らなくて済む。どちらに転ぶかは、結局わからない。それがいい。