無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

あと168時間弱

さてあと一週間。気合いを入れて出迎えるというよりは、如何に力を抜いて自然体でおかえりなさいをするかに注力するつもりでいる。注力なんて言葉使ってる時点で力み返りまくりではありますのやけどね。

ある記事に、試写会でヒカルの歌が流れた旨書かれていた。試写なら別に歌は無くても不思議ではないが、或いは一週目の劇中で既にインスト・バージョンが使われているのかもしれない。箝口令が機能している事を希望する。

感想としては、こちらからの解釈では「掴みは弱い」という事になる。半年間156回×5回流れるのだから一発で心を掴む系でなくてもよいのだが、「宇多田の新曲がかかるっていうから」とチャンネルを合わせた特に朝ドラ自体には興味の無い層の期待は裏切るかもしれない。

朝ドラの主題歌はCMを挟まず本編と地続きだ。今やってる「あさが来た」ではアバンから入るもんだから、本編がシリアスだったり悲しかったりすると時々ギャップが生じている。一瞬で歌の世界に入り込ませられる吸引力が楽曲に宿っているならまだしも、現行の歌唱力では滑稽なだけだ。

当初からのポイントだが、果たしてヒカルは新曲を、どれだけ朝ドラにアジャストして作ってきたのか。タイアップだからといってどこまで近付けてくるかは結局ヒカル次第なので。

例えば今挙げたような点、本編のトーンが日によってコミカルだったりシリアスだったりといった落差がある、というような事をヒカルは知っているだろうか。延々半年間続くドラマをヒカルが最初から最後まで見た事があるとは思えない。他では味わえない独特な時間の流れ方をする。30作以上見ている私が言うんだから間違いない?だろう。

その時間の流れの中でどうなっていくか。桜の季節なんて冒頭の数日だけだろう。『花束を君に』は梅雨も通過すれば甲子園高校野球の夏も通過する。その中での愛着というのが重要になる。真価は結局、半年後の最終回が終わる頃に問われる事になるだろう。今はまだ、ゆっくりのんびり待つ事にする。