無意識日記々

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諸人こぞりて なんだって?

北海道の状況がかなり深刻なようだ。報道に接しているだけでは知れることは限られているが道内全域停電は冗談抜きにそれ自体が地震津波や台風と同じ位に災害なんじゃないか。

エヴァンゲリオンはコードレスだと3分しか保たないけれど、現代人って完全コードレスで何日正気で暮らせるのだろう。私なら3日と保たない。エヴァンゲリオンと変わらない。いやそれより酷いかな。

だから現代人はひ弱なんだとか言う気はない。寧ろ、だからこそ便利極まりない文化文明社会にのっかって一蓮托生となるべきではなかろうか。もしもの時の為にと状況が悪くなった場合の対処ばかり考えているといつの間にか自分がその悪い状況を望むようになる。単純な話、たっぷり準備したら使ってみたくなるのが人情だから。

そんなことはない、と力強く反論できるだろうか。もしもの時の備えは大切だが、だからこそ一定の備えが出来上がったら頭の中から消し去るべきだ。人は好き嫌いを越えてかかずらった時間に応じて愛着が湧く。それを普通人情と呼ぶのだ。この誘惑に抗うのは骨が折れるぞ。

出来れば災害対策は専門家に丸投げして彼らに富と名誉を付随させるのが社会としては正解だ。ディストピアに対する憧れみたいなものは誰しもにある。そういう物語に魅力を感じる人も多い。ブレードランナーの世界に住みたいとは思わなくてもそういう映画は観てみたい。そこらへんの区別がつかなくなってくると危うい。

社会全体として便利な文化文明社会を肯定するのを忘れてはならない。そして、その脆さに触れた時に過度に落胆しないこと。弱さは認めて、徐々に克服すればいい。それが愛ってもんだろ。社会に対して愛情を持つのはかなり難しい。社会は「私」をなかなか肯定してくれないのだし。そこをなんとか、だね。

まぁ人は忘れっぽいから大丈夫か。今しかつめらしい顔をして災害を憂いていても、75日も経てば頭から抜け落ちている。本来なら「それくらいでちょうどいい」とでも言うべきなんだろうが、そこは反省して改善することも出来るのだ。さっきと言ってる事が矛盾しているが、大事なのは自らに破壊的且つ破戒的な願望や欲望が顕れるのを受け容れること。受け容れた上で、それをどうコントロールするかが現代人の腕の見せどころなんです。苛立ちや悲しみだけでなく嬉しさや楽しさまでも自由に出来たなら、それがいちばん静かな文化文明社会の成果なんだと私は言いたいのでしたとさ。