無意識日記々

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#裸婦抱く 福岡でのMCより

『休んでるとき一時期、明るい光や人前に出るのが苦手なときがあって、これはもう歌手としてコンサートできないのかなって。ツアーの初日もどうなるかと思ったんですけど、やってみたら意外と楽しくて。5年前の自分にこの景色を見せてあげたいです』

https://mobile.twitter.com/kzm_mkn/status/1063052056523489281

昨晩のMCから、だそうな。5年前というのがポイントで、それは2013年。言わずもがなあの年である。僕らからみれば『KUMA POWER HOUR』がオンエアされていた年であり、前半だけの印象ならそこまで「人前に出たくない」雰囲気はなかった訳だが、その後の事を思い出すとさもありなん。

他の事もあったのかもわからない。ただ、こちらから見えている情報だけでもマスメディア不信や人間不信に陥っても仕方がないだろうという推理は成り立つ。以後『人魚』の作曲によって曲作りの感覚を取り戻し我々の前にまた舞い降りてくれた訳だが、そこに至るまでの葛藤の記録は共有されていない。勿論、その前の15年間においても共有されてない事もあったのだろうけれど。

これが「あしたのジョー」だと全20巻版でいえば第8〜10巻あたりで力石徹の死から立ち直っていく矢吹丈のプロセスが描かれているのだがな。いや『Show Me Love (Not A Dream)』を提供してるんだからこの喩えはそこまで唐突じゃないぞ。

ファンからすればその葛藤の過程すらも共有しておきたいところなのだが、その機会はもう一生の間に訪れるかどうかだろう。厚かましい感傷に浸りたいのではなく、日々リアクションを発信する身としてヒカルのトラウマや心の傷を抉りたくないという実益的理由からなのだが、語ること伝えること自体が傷を抉る結果になりかねないので、今は常識的な感覚に任せるしかない。踏み込む方も勇気と配慮が要る。肝に銘じておきたいところである。