無意識日記々

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覆水グラスに返らず

『Time』の『溢した水はグラスに帰らない』の一節はちょっとした発明だよね。元々『覆水盆に返らず』という諺/故事成語があって、それを歌詞に載せられるように盆をグラスに置き換えた、という事なんだろうけど、なんだか「藪から棒に」を「薮からスティック」に言い換えたルー大柴を彷彿とさせる(笑)。

実際、ヒカルは今まで古風というか古語や漢語を歌詞に幾つか取り上げて来てた訳で。いちばん有名なのは『traveling』の『春の夜の夢の如し』『風の前の塵に同じ』だろうかな。これらは平家物語か。『パクチーの唄』の『学びて時に之を思う』も。こちらは孔子論語だね。そういうのを洋風のPopsに大胆に入れ込んできてた。だが流石に『覆水盆に返らず』はそのまま使えなかったからこういう風にアレンジしたのかな。

もうひとつあるかもね。タイアップ先の『美食探偵 明智五郎』はその名の通り美食をテーマにしたドラマで、場面々々でグラスを傾ける描写が出てくる。ある回ではグラスをトリックにした殺人事件まで飛び出した。ヒカルが原作漫画を読んだタイミングはわからないけれど、劇中で使われる事も意識してグラスに書き換えたのかもしれない。だがお盆を使ったトリックもあったので、結果的に気ををまわしすぎたかなと。もっとも、この諺でいう「盆」って「ボウル」の事だそうなので、これはこれでよかったか。

元々『覆水盆に返らず』は太公望(「封神演義」の人ね)に纏わるエピソードとして伝えられていて、元々の由来が「一度離婚した夫婦は元に戻れない」という意味なのだけれど両親が6回以上離婚と結婚を繰り返した宇多田ヒカルさんからすれば「何言ってんだそんなことねーよ」なお話なのかもしれない。とはいえ、『Time』というタイトルの曲で「時間の不可逆性」を象徴することわざを使ってきたのはやっぱり慧眼と言わざるを得ませんわね。でも遠い未来では、今のヒカルの発言や行動が故事成語やことわざになっている可能性もあるよねぇ。それまで生きてみたいわ。