無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

夜キッチンでひとりで踊ってます

『私が生きているのを実感するのは、息子と遊んだり、夜キッチンでヘッドフォンをして、音楽を聴いて踊ったり、そういうときです。』

https://twitter.com/SHISEIDO_brand/status/1426347845070721024

この発言は今回追加される以前から聞かれていたものだが、これを聴いてあたしゃやけに嬉しくなってしまってね。

というのも、宇多田ヒカルは音楽稼業に携わる職業歌手だというのに、『夜キッチンで』『音楽を聴いて踊ったり』するのだ。そこには届けるべき顧客、リスナーの姿はない。誰に聴かせるでもない、ただ自分自身が音楽と共にあるだけの時間を「生きている実感」として捉えている。これは本当に喜ばしい。

なぜなら、音楽に携わる理由が内在的だからだ。ヒカルは、誰との関係性に頼るでもなく、生きている実感を求めて、音楽を選ぶだろう。それは、ファンが何とか引退しないようにと苦心したりとか、やる気を出して貰えるようにとか、お母さんに捧げるためかなとか、息子にかっこいい姿見せたいのかなとか、そういうモチベーションに関する不安や心配が必要無い事を意味する。ほっといても音楽と居てくれるのだから。一番の信頼だ。

とはいえ、これも、裏を返せば、「別にリスナーは居なくてもいい」という捉え方も出来る訳でな。ミュージシャンには、「生きている実感」として「ライブコンサート」を挙げる人が山ほど居るだろう。人に聞かせて喝采を浴びたい、それこそが生の実感だという人が。そういう場合は、確かにライブをやってる時は強いが、ひとたび喝采が減った時に弱い。モチベーションに響くからね。途端に「売れなくなったらどうしよう」という不安を抱え込む事になる。

ヒカルはそういうのとあまり関係が無いということでもあるのかもしれない。もっと言えば、自分が生きている実感を得るために他者の存在は愛する息子ひとりだけでいい、ということでもある。それをファンとして寂しい事と捉える向きもあるかもしれないが、あたしなんかは、それくらいキッパリハッキリしてくれていた方がいい。気が楽だ。

人から褒められたいからやるのか、それとも動機が個人に内在しているのか。うまくいっている時はその区別にさほど意味は無いが、山あり谷ありの人生において動機の内在性は人生を一貫する為には非常に重要なのである。

普通の人なら、夜キッチンで音楽を聴きながら踊ることはあっても、あらたまった場で「あなたにとって生きている実感を感じるのはどんな時ですか?」と訊かれてそれだと答える事は少ない。ヒカルのようなビッグなアーティストなら「一万人の観客を前に歌うこと」とか言ってもいいやつなのに、こんな日常のさり気無い一コマを選んで答えて映像に残すあたり、しっかりと考えた上で真正面からこう答えているのだと思われる。誠実も過ぎるとシャレと見分けがつかなくなる好例かもしれないね。でも、勿論本人は至って本気なのである。