「SONGS OF TOKYO」でヒカルは「なぜ恐怖と向き合うのか?(Why do I FACE MY FEARS ?)」という問いに対して(端的に言えば)「得るものがあるから」と答えていた。「もっと知りたいから」という動機も「新たな知見を得たいから」と言い換える事が出来る。何か得るものがあるなら怖くてもリスクがあっても突っ込んでくよと。
「得る」という述語で思い出すのが
『「失う」ってなんだ?!
生きてりゃ得るもんばっかりだ!
なぁ?(*´ー`*) 』
っていう2010年8月11日のメッセの一節だ。
https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_3.html
どこか明石家さんまの「生きてるだけで丸儲け」(IMALUの名前の由来なんだったねぇ)に近い趣のある名言だが、そのヒカルの最近のパブリック・イメージといえば『One Last Kiss』の
『止められない喪失の予感』
の一節の影響がとても大きい気がしている。やっぱりこの曲断トツの再生回数だしな。つまり、「喪失感を歌う歌手」みたいな、そんなイメージな。
『生きてりゃ得るもんばっかり』な人にとって喪失とはダイレクトに死だ。それ以外、ない。生きてなきゃ得ないのだ。
もちろん、『One Last Kiss』で歌われる『喪失感』は死に限定されてはいない。シンエヴァの主題歌としてエンディング・テーマとして「始まった物語はいつか終わるものだ」というメッセージを込める役割も担ったのだし。だが、こうやってインタビューでヒカルが「得るものがある」と何度も繰り返すのを聴いていると、何かを得る事が生の実感であり、何かを得たと感じられないのであればそれは死への歩みであるのかもしれない、と感じているようにも捉えられ得る。
最近のヒカルさんは表情も穏やかで痩せすぎでもなく健康そうで何よりなのだが(母ちゃんに寝込んでいる暇は無いのか!?)、そんなでも存外『Face My Fears』、「恐怖と向き合うこと」に積極的なのは、生の有限と死の無限を最近より強く実感しているからではないだろうか。
いや、特別何か生死に関するエピソードが裏であったとか邪推する訳じゃないのよ。寧ろ逆で、なんでもない穏やかな日常においてそういう意識で生きてるんじゃないかなと。子を持って初めて「日常」を得た人にとっての日常とはそういうものなのではないのかなと。
漫画「ワンピース」のウソップの台詞に「毎日命はって生きてるからあいつらは本当に楽しそうに笑うんだ」ってのがあったが、ヒカルさんの昨今の笑顔がほんに滋味深く柔和で茶目っ気があり何よりとにかく優しみに溢れているのは、そのように毎日生と死を常に意識して生活してるからなのではないかなぁと。何かを得ることで生を感じているのだとすれば、ヒカルさんの「知りたい」はそのままダイレクトに「生きたい」気持ちそのものなのではないのかなぁ。『テイク5』の『今日という日を素直に生きたい』で自分の『生きたい』気持ちを再発見したヒカルさんが「知りたい」と言う度に我々はそれを「生きたい」のだなヒカルさんはと解釈できれば、なかなかに美味しいのではないでしょうか。何よりそれが得難い事ですので。