無意識日記々

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『急に短』く

『他人の表情も場の空気も上等な小説ももう充分読んだわ

 私の価値がわからないような人に大事にされても無駄

 自分のためにならないような努力はやめた方がいいわ』

お馴染み『PINK BLOOD』のここの歌詞を耳にして「随分思い切って開き直ったなぁ」と暫し唖然呆然としていたのだけれど、こういう開き直りってどういう心境の変化から来たものなのかなぁと若干戸惑っていた。

似たような歌詞として『嫉妬されるべき人生』の

『人の期待に応えるだけの生き方はもうやめる』

というのもあったな……とぼーっと歌を聴いていたら、あぁ、これかもと思う一節があった。

『長いと思ってた人生 急に短い』

これな気がする。この感覚は歳をとるとより鮮明になる。年月というものが数えられるようになる。27年半生きると1万日で、ここらへんから何となく「先が見える」ような気がしてくる。気のせいかもだけど。

老いや衰えは直接は関係ないのだ。単なる数の感覚。1万日ってのが今までこれくらいだったから、この二倍とか三倍とかか、みたいな風に感じれるようになってくる。なので、平均余命が10年や20年変化したところでその感覚に影響は少ない。人生80年だろうが100年だろうが120年だろうが、ある時唐突に近い感覚で「うわ、人生ってあとこれだけしかないのか」というのが襲ってくる。ホント『急に短い』っての蓋し名言だと思います。

それはやっぱりきっと、我が子と、こどもと暮らしているのが大きくて。幼い頃、未来は、有限であると言い聞かされていたとしてもやっぱり果てしなくて、どこまで続いているのか先が全然見えなかった。それと同時に明日途切れたらという恐怖の感覚もまた甚だしかった。その前に今日を安全に生き抜かないといけなかったけど。

ヒカルは感化されやすく在れる。こどもを傍らで観てその感覚を共有し、自分の場合を思い出し、あの頃と今とで感覚が違われていると大きく気がついたのかもしれない。それが「思い切った開き直り」に繋がっているのではないかなと。

幼子をひとりで育てるとなれば人生のかなりの時間が喰われる。それでますます自分の時間の有限さを痛感したのかな。『嫉妬されるべき人生』で『五十年』という具体的な数字が出てくるのは、「人生五十年」という古典的な表現と、あとは、現代の平均余命だと大体それくらい生きるかもしれないからかな。勿論明日のこともわからないし、平和な国では「長生きのリスク」なんてものが真剣に議論されている訳で、そうそう単純な話ではないのだけど、「そんなことしてる暇ないや」という感覚は、どうしたって生まれてくる。そんな中で、今こうやって新曲を出し続けて活動してくれてるってのは、アーティスト活動がヒカルの人生の中で依然とても大事なことだからというもしかしたら当たり前じゃない事実を表してくれてるって事なんで、嗚呼、心底、感謝しかないでございます。