無意識日記々

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冬感を演出する通常の2倍の低音声部。

でその『君に夢中』の「冬感」演出に一役買っているのがピアノとシンセベースによるユニゾンプレイだ。あそこはこの曲の中でも特に印象的だよね。

これもこちらの勝手な推測(願望?)なのだが、この曲のピアノとシンセベースは打ち込みかもしれない。というのも、楽曲の中でこのパーツは「怯まない容赦の無さ」と「絶え間ない一貫性」を表現するべきだからだ。

冬といえば寒さでありそれは即ち「自然の厳しさ」だ。その厳しさとは「人間の都合を一切考えない」“無情さ”、情の無さの事。幾ら人間が寒いから勘弁してくれと訴えても全く聴く耳を持たず何の容赦も無い。傍若無人に冬の季節はその持ち味を遂行実現するのみなのだ。

その、自然のもつ機械的ともいえる容赦の無さを演出するには、『君に夢中』のもつ情感をたっぷり湛えた歌声を“全く無視する”サウンドが相応しい。つまり、ヒカルが感情を込めて歌っていてもそれに一切反応せずにただひたすらに次の音を出すことに集中し続けているような、そんな無機的なサウンドがここには要る気がするのだ。ならば人間に弾かせず機械にやって貰った方がいいように思われる。

歌唱と演奏の関係性というのは様々である。例えば『Passion』のようにほぼ同じラインを互いに歌い合う協働的な動きをする場合もあれば、『Animato』のようにそれぞれが結構勝手に派手な動きをする散文的な組み合わせもある。『HEART STATION』のように対位法的に3つのキーボードが鳴らされて相補的な関係を保つ場合もまた然り。斯様に曲毎様々なのだが、『君に夢中』での歌唱と器楽演奏の関係性は「対照」なのだと思われる。寒風吹きすさぶ冬の夜をピアノとシンセベースによる無慈悲なアルペジオで表現し、一方でヒカルによる歌唱は切ないながらもじんわりと暖かく、人の情に溢れている。家の外と中で寒さと暖かさのコントラストを描いているような、そんな対照を重視した編曲となっている。

ここらへんは少し『Stay Gold』と似ている。あれもサウンドで冬感を出しつつ、歌は優しく暖かかった。ただ、こちらの醸す冬感は、例えばダイヤモンド・ダストのような神秘的な煌めきであり、その浮世離れした浮遊感の演出の為にベースレスという方法論が選択されていた。

一方でこの『君に夢中』は、ピアノとシンクロするシンセベースとはまた別個にオーソドックスなエレクトリックベースが、こちらはいつも通りドラムス&パーカッションの補助としてボトムを支えている。『Stay Gold』ではゼロだったベースパートがこちらは通常の2倍。ここが今までの楽曲にない『君に夢中』の新奇さなのだ。

低音というのは音の指向性があやふやになり定位感がぼやける特徴がある。低音専用のサブウーファースピーカーは、部屋のどこに置いても鳴り方/聞こえ方としては然程変わりなく、常に部屋の(身体の?)真ん中で鳴っているように聞こえる。これは、裏を返せば、低音に2つ以上の声部を誂えても左右に寄らず真ん中で混ざり合ってしまいうまく対比が描かれないおそれがあるわけだ。radikoで聴く限り、そこらへんが実に巧く処理されているように聞こえたが、本当のところは明後日配信が始まってからハイレゾ音源などで確認してみないとわからないかな。

今年からApple Musicでは別料金無しでハイレゾストリーミングが聴けるようになっている。なのにiPhone/iPad/iPodBluetoothが音質の低いAAC接続しか出来ないのは宝の持ち腐れ感満載だがそれは兎も角、『君に夢中』に関しても明後日から即日のハイレゾストリーミングが期待される。だがしかし、1曲前の『PINK BLOOD』が未だにハイレゾ配信されていないのが気に掛かるのよ。それより前の『One Last Kiss』EPや『誰にも言わない』、『Time』などはきっちりハイレゾロスレスのマークが躍っているのに。『PINK BLOOD』は、ハイレゾロスレスはおろかロスレス(CD音質相当)ですらない。『君に夢中』の配信はどうなるんだろうかと一抹の不安を覚える私なのでありましたとさ。