無意識日記々

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君思う、故に君在り。

「いきなりディテールからですか!?」と山本シュウさんにツッコまれそうだけど(ってこんな16年も前のネタわかる人在るんだろうか?)、『君に夢中』はディテールの凝り様が半端ではないので、同曲について語る時はどうしても細かい話からになっちゃうのよね。

歌詞のフックラインが多過ぎてどこを取り上げても人の心に残り続ける思い出深い一節になるものばかりな『君に夢中』だが、その中でも“綾波レイ風”と言われるこの一行は凄くインパクトが強い。

『どの私が本当のオリジナル?

 思い出させてよ Oh baby baby』

2:05からのこの部分な。ドラマ「最愛」のイメージの強い歌の中でいきなりエヴァかよ?と訝ることも出来ようが、リスナーとしてはこれを痛切に自分自身の問題、自身への問いかけとして受け取っている人が結構在るんじゃあないだろうか。

ヒカルとしては、この“問い”に対して聴き手が真剣に捉えて考えてみてくれることを願っているのだと思われる。当然ながら、その為にはヒカルから答のようなものをこの後歌の中で提示する事はない。実際、ここから間奏が23秒程続き、聴き手はこの問いに対して少し考える時間を与えられる。「本当のオリジナルな自分は何なのか、みんなも考えてみてね」というこのタメの利いた間奏部分の挿入。構成力も素晴らしいのだ。

なので答は各自の中に、ということでそれはそれでファイナルアンサーなのだが。実は、よくよく聴いてみるとヒカルなりの「ちょっとだけ隠された」答がこの歌の中にはちゃんと用意してあるのだ。

それは歌の歌詞のどこかに直接描かれているのではなく、この一節そのものに仕組まれている。実際に鳴らして聴いてみて、ここの部分のヒカルの歌にもう一度注目してみて欲しい。

『どの私が本当のオリジナル?』

の部分は、そこに至るまでに掛けられていたエコーが抑え気味になり、より身近間近にヒカルの声が聞こえてくるミックスとなっている。ここでのポイントは、その間近な歌声が一声のみの声部であることだ。

一方で

『思い出させてよ Oh baby baby』

の部分はいきなり多声のコーラスハーモニーパートになる。今ぱっと聴いただけでも三声部が確認出来たが、恐らくもっと重ねられている筈だ。

この、たった二行の歌詞の間に対比されるコーラスワークがヒカルの用意した答なのだと私は思う。『思い出させてよ』の部分で様々な高さ低さトーンで表現される「私」が、生きていく中で生み出してきた様々な「オリジナルでない私」の数々を表現している、と見立てるのだ。とするならば、その前にたった一声で素朴に『どの私が本当のオリジナル?』と問うた声こそが、「本当のオリジナルな私」なのではないだろうか。せわしい日常の中で、ふと立ち止まって「あれ?本当の自分ってどれなんだろ?」と問いを発した瞬間の感情こそが、いちばん素直な“私”の在り方なのではないだろうか。その点を歌詞の上では指摘せず、ヒカルは、コーラスワークに託して表現したのだと、私はみている。

ヒカルがコーラスの構成で歌詞に付帯的な意味付けをするのはこれが初めてではない。『Time』では楽曲終盤にコーラスの声部を左右に分かれさせる事であなたと私や、過去の私と未来の私や、更には「こうなった自分」と「そうはならなかった自分」を対比してみせた。今回は、問いを発した言葉そのものに答を込めるという何とも粋な計らいをしてくれたんじゃないのかなと、私は勝手に思っている。いや、真実はどうであれ、そう受け取るのが多分いちばん私らしいと、思うので今後もそう解釈して生きていきたいと、思います。そうか、私は生きていきたいと、思っているのね。(テイク5!)