無意識日記々

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地震雷火事親父→地震疫病核戦争?

昔は怖いものの代名詞といえば「地震・雷・火事・親父」だったが、目下の恐怖の対象は「地震・ウィルス・核・戦争」とかになるんかな。昔より物騒度が増しているなぁ。だが今も昔も地震はやっぱり怖いんだね。不動の恐怖の対象だ。地面が不動ではなくなる事象のくせに。

東日本大震災からちょうど今日で11年…という言い方は、自分にとっては正しくない。地震による災禍・被害はこんにちに至るまで続いているからだ。未だ避難してる人は2万人規模だというし昨年も震災関連死で11人の方が亡くなられたという。なので自分が呟くときは「東北地方太平洋沖地震から11年」なんていう風に言っている。「兵庫県南部地震」や「新潟県中越地震」などなども同様に。とはいえ私個人の勝手な拘りなので、皆さんの書き方について何か言いたいとかではないのでご安心を。自分も140字の壁に阻まれたら大震災って書いてるしな。その程度のお話です。

11年前のヒカルの呟きを読んで「この頃は日本に居たんだなぁ」と溜息を吐く。ヒカルの心の安寧の為にはマスメディアの目が遠のくロンドン居住は断固支持したい私。いや本来ならメディアの方が変わるべきなんだけど、現実は難しい。解けない問題からは一旦離れるのがより良い方法だ。

そんな私でも「次に日本列島付近で地震が起こったらヒカルの足許は揺れないんだな」と思ったら、安心と共に一抹の寂しさを感じてしまった。多分、ヒカルの呟きの内容は変わらない。11年前と同じように、みんなの心配をする所から始まるだろう。あんたも被災者だったんだがな。でも、この「地理的・物理的な距離」というのは、心理的距離が幾ら近くても如何ともし難いものがあり。遠くの親類より何とやらってやつですね。立ってる地面が遠いというのは、否応ないだけに素直にその寂しさを感じてしまう。

でもきっと、その寂しさが、ヒカルがコンサートですぐそこにある舞台に実際に立ってくれたときの感動の養分になるのだろうから、そこまで良くないものでもないんじゃないかなと。一体いつになるかはわかりませんが、来たるべき"来日コンサート"を両手を挙げて迎え入れる日を大変心待ちにしておりますよ。