無意識日記々

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それくらいには はてしないさ

昔からベテラン・ミュージシャンはキャリアが数十年経ってくるとその時々の旬な若手に手伝って貰って新しいヒットを作ってきた。最初に思い浮かんだのがサンタナとマッチボックス・トウェンティだった私は大分脳が古いな!(「スムーズ」だね) まぁあとデビッド・ボウイとか死ぬまで旬のアーティストたちとコラボレーションしてましたよね文字通り。

最近の宇多田ヒカルも少しそれに近いとこがある? 『BADモード』のプロデューサー陣は小袋成彬Skrillex、A.G.CookにFloating Pointsと最先端のサウンドに精通したヒカルより歳下の若人ばかり(コラSkrillexだけちょい古いじゃんとか言わないの)。『BADモード』のサウンドがモダンなのも彼らの尽力による所が大きい。宇多田ヒカルもデビューして二十余年(いや24年でもいいけれどもそこ(笑))、そういうベテランのポジションになりつつあるのかなぁ…

…などとは私、全く思っていない。前も書いたとおり、宇多田ヒカルの創作能力は人類の最先端とも呼べる領域にあるので、時代の最先端とか細かいこと言ってる場合じゃないというのが本音だ。いつ聴いても古臭くないとかそんな程度で褒め言葉になると思ったら大間違い。宇宙人や人の進化した先の種の生物にもこの良さが伝わるんじゃないかと思わせる、人類的普遍性を更に越えた営みに突入しつつある。

そんな中で時代の最先端サウンドが取り入れられたのは、曲が呼んだからだとしか今の日本語では表現できない。『気分じゃないの(Not In The Mood)』という曲が、ヒカルをカフェやバーに出掛けさせ、詩を書く人に邂逅させたように、他の曲たちも、自分たちに要るものを呼び寄せたのだ。

擬人化的手法だとかを使ってそんな言い方をするしかない何か。時間順序とか因果律とか、21世紀前半時点でのヒトの哲学では捉えられていない何かを、ヒカルは絶賛実践中だ。『BADモード』を聴き終えた瞬間に「これが最高傑作で終われる筈がない」と思わせた圧倒的な創造性の先。我々はそれをこれから見せて貰うことになる。

そういう風に思うと、なるほど宇多田ヒカルの15歳は普通に15歳だったのだなと腑に落ちる。 「物凄く大人っぽい」とか「大人顔負けどころかどの大人も敵わない圧倒的な才能」とか言われていたけど、ヒカルにとって15歳のヒカルは普通に15歳の女の子だった。普通の39歳の女性が自分の15歳の時を振り返るようにしてヒカルもあの時私は若かった幼かった何も知らなかった嗚呼今思い返すと恥ずかしい!ってなってるのよ。あの才能を持っていても!以てしても!

現行の日本語圏てのは若さを過剰に評価している。「その時代で持て囃される年齢がその文化の精神年齢だ」とは私の昔からの持論だが、例えば女子高生が最も持て囃される時代であればそれは文化もまだまだティーンエイジャーだということ。それだけの話。

今後、ヒカルの成長にこの文化が追い付くことはないだろう。引き離されていく一方だ。でも、そこから外れてもこれは追い掛ける価値がある。いや、価値とはヒカルを追うことだ。定義が逆だったわ。ヒカルを追わずに価値を語ることなど出来ないのだ。

でも取り敢えず今は、デビュー記念日に今と昔の声を振り返って聴き較べながらリラックスしよう。そういう時期なので、そこはそれという感じで楽しんでおきたい。ドラマの第1話でヒカルの歌声は流れるのかな? あと2週間か。こういうタイアップですら、きっとヒカルの創作の次の一手への呼び水になっていくんだろうよ。それくらいには、果てしないさ。