無意識日記々

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『BADモード』が通常モードに。

昨年12月の7インチEP2枚組『First Love / 初恋』リリース以降、日常の中で『BADモード』も『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』も聴かない日が増えている。代わりにその『First Love / 初恋』や『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』を聴いてるってだけなんだけども。

(余談になるが皆さん、普段は2枚のスタジオライブ盤のこと何て呼んでらっしゃるの? あたしの辞書登録は『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』の方が「ウルサス」(頭文字H.U.L.S.A.S.をそのまま読んだもの。何故だか最初のHは発音しない)、『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』の方が『メトロポリス(・ライブ)』なんだけども。)

なので日を置いて『BADモード』を聴いたりすると、あれなんですよ、「実家に帰ってきたような安心感」があるのよね私。あんたよっぽど『First Love』の方が長年に渡って愛聴してきたんじゃないのと自分でも思うのだけど、あれだわ、私もう『BADモード』に脳みそ作り替えられてんだわ。まさにBAD BRAINSなんだわ。(※そんな名前のロックバンドが在るというだけ)

「これこれ、これなんだよなぁ」と何度言ったことか。だからといって『First Love』が色褪せてるとかそんなことは全く無く、『First Love - Live 2023』が綺麗に過去と現在を繋いでくれている。このトラックのお陰でリバイバルヒットが今のヒカルの活動と繋がった感じが強い。一緒に歌われた『Rule (君に夢中)』とは生まれた歳として20歳以上の差が開いているというのにお互いの馴染み具合たるや尋常ではない。『Automatic / time will tell』に始まる名だたる両A面シングル盤たちと遜色ないどころか、過去と現在を包摂するスケール感がより大きく著しい。

ん~スケール感というより、「懐が広くて暖かい」とでも言った方がいいかな。『BADモード』を「実家」だと認識するこの脳が特殊なのかもしれないが、たった今の宇多田ヒカルを過去の宇多田ヒカルとダイレクトに接続してくれたことで、今のヒカルの包容力が明確に露わになった気がしているのだ。大人になったヒカルがこどもの頃のヒカルを暖かく迎え入れているような。嵐の女神じゃないけれど。

そういう意味では、宇多田ヒカルはどの時代から聴き始めてもいいんだろうな、きっと。自分は曲がりなりにもデビュー直後くらいから知っているので音楽的変遷がほぼ時系列通りに頭に入っているのだけど、今感じてるこの感覚は寧ろYouTubeとサブスク以降の、総ての過去音源が並列に取捨選択可能な現代の気分の方がより近いのかもしれない。過去のどの時点の宇多田ヒカルもこの3年間の、『BADモード』~『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』~『40代はいろいろ -Live from Metropolis Studios』のサウンドの流れの中に内包されていっているような。

もっと言ってしまえば、ヒカルは自分の過去に作った音楽について心底誇りに思っていて否定的な感情が見当たらないから、それらの成果をそのまま並列に並べて土台にして次の展開に進む事が出来ているんじゃないかな。『これから一生「宇多田ヒカルと言えば、AutomaticとFirst Love」って言われても、これからの音楽作りになんの悪影響も無いと思う。』とデビュー1年足らずで言ってるのを有言実行し続けて24年来たような。だから『BADモード』から安心感を得られるのも、聴き慣れてきてそういった土台の部分も確り感じられるようになってきたからなのかもしれない。過去22年があってこその『BADモード』だったのだから。

だから今後もヒカルが新しい音楽を届けてくれることを恐れる必要はどこにもない。いや、ホントはいつだってちょっと怖いけど、まぁそれは『悪い予感がするとワクワクしちゃうな』の逆みたいなもので、「ワクワクって悪い予感と似ててドキドキしちゃうよね!」ってことなんだと、思っとくのよさ~。