無意識日記々

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何故に歌で合戦をするのか?

ちょいと与太話から。

NHK紅白歌合戦、昨年(先週)も例年通り楽しませて貰ったが、どうにもその在り方が時代にそぐわないのではないかという空気が毎年濃くなっている。多様性の時代だというのに「紅白」という男女に分けた布陣は前時代的だという指摘や、折角音楽の祭典なのに「合戦」と称して勝ち負けを決めなくてはいけないのかという疑問。この2つがその最たるものだろう。

性の多様性に関しては、「特別企画枠」を増やすことで対応しているようだ。氷川きよしなんかがそうですわね。最近吹っ切れてていい感じと思ったら休養に入ったのね。まぁそれはいいんだけど、このまま特別企画枠が増えていって紅白という対立軸は薄れていくかもしれないね。

「合戦」の部分については、いいこと言う人が居たので丸々引用しておこう。

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「音楽フェスというのは、こんなに色々なたくさんの人達が一堂に介し、その全員が楽しくて、全員が勝者である。そんな場所他にはどこにもない。スポーツイベントにも、大勢の人達が集まるけど、でも誰か必ず負ける。」

https://rockinon.com/blog/nakamura/203657

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と、こういうことだ。いいこと言うねぇ。

で。音楽の祭典の「敗者がいない」という美点を捨てて「歌合戦」をするなんて勿体ない、そう思ってしまうわけですよ。ついつい。

この点、ひとつ擁護させて欲しい。なぜNHK紅白歌合戦を「合戦」形式にしているのか。そこのところをちょっと述べてみたい。

理由は単純。歌はひとつひとつバラバラだからだ。例えばMISIAの歌う歌詞と福山雅治の歌う歌詞の間には何の関連もない。誰かが1曲歌って、それとは全く別に、次の歌を誰かが歌う。それがテレビの歌番組ってもんだ。

だが紅白歌合戦は2時間半或いは4時間半の長丁場。確かに大晦日の慌ただしい時間帯につまみ食いをするにはもってこいだ。いつチャンネルを合わせてもそこだけで楽しめる。だが、裏を返せばいつチャンネルを変えられても仕方がない。歌ひとつひとつがバラバラなのだから、ずっと観ている理由がないのだ。好きな歌だけ選んで観ればいい。

これが、2チーム対抗で評価されていくとなると様子が変わる。番組を観ながら、それぞれの陣営の歌の出来を評価して、今どちらが優勢なのか推測しながら視聴する楽しみが加わるのだ。長尺の番組に縦糸が1本通るのである。それによって、然程興味の無かった歌手でも視聴する動機が生まれる。番組全体に「流れ」が出来上がるのだ。

ミュージカルやオペラならひとつのストーリーに沿って歌を楽しめるけれども、それぞれにバラバラな出自のアーティストたちが歌を披露していく番組に流れを与える最も単純で強力な方法が「対抗戦」即ち「歌合戦」なのだった。歌で合戦は確かに物騒なのだが、勝負事にすることで番組に流れが、ストーリーが出来上がっていく。これが2時間半とか4時間半という長尺のテレビ番組には非常に大きいのだった。なので合戦形式は令和の今になってもやめられないのである。(たぶん)

これ、ライブコンサートでも同じなのよね。約2時間の選曲と曲順で、どんなストーリーを見せるか。前回紹介したように、宇多田ヒカルは『First Love』という「宇多田ヒカル物語の中で中心的な存在となる楽曲」の後に何を歌うかで曲順にメッセージ性を与え、コンサート全体に流れとストーリーを生じさせている。勿論他の選曲にも様々な意味を付与しているのだが、『Fitst Love』は最も多くの観客が宇多田ヒカル物語の中で大きな意義を感じる楽曲なので、いちばんスポットがあたるようになっている。

そして昨年から今年に掛けて、更に『First Love』の存在は大きくなった。今後コンサートでヒカルが『First Love』の次に歌う曲を選ぶことが一層重い意味をもつようになったと言ってもいい。それは同時に、2時間という長尺のコンサートに持たせるストーリーとメッセージをより強烈に演出出来るようになることも意味する。リバイバル・ヒットがツアーに与える影響はデカい。今年以降の楽しみの1つになりそうだねこのポイントは。

その前に2週間後の『40代はいろいろ♫』で『First Love』を歌うかどうか、もし歌ったらその後に何か歌うかどうかも、興味深いところですな。普段のツアーなら『First Love』は絶対に歌うだろうが、果たして無料誕生日配信イベントではどうでしょうね? 嗚呼、待ち切れませんな四十路初日のヒカルさん!