無意識日記々

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『Me Muero』の歌を今聴いて

『40代はいろいろ♫』のアーカイブはまだかいな、バッドバニーのカバーの『Me Porto Bonito』がまた聴きたいぞ、スペイン語で歌うヒカルは貴重だからな、、、と毎日首を長くして待っているのだけれど、いや待てスペイン語で歌うの別にこれが初めてじゃないじゃないかUTADAの『Me Muero』があったやんけと思い直して同曲を聴いてみる。

ふむ、タイトルはスペイン語だけど歌詞はほぼ英語じゃんねこの歌ね。これではスペイン語の歌とまでは言えないなぁ…と歌詞をチェックしていたら、そうよね、ヒカルさんこういう歌詞をもう書きそうにないのよねと気がついた。

"Me Muero"は英語でいうと“I'm dying (for)"で、「私もう死にそう」或いは「~したくてたまらない」みたいな意味になる。当時タイトルだけみた時点では後者の意味なのかなと思ってみたりもしてたのだけれど実際に蓋を開けてみると『Now and then, I'm suicidal』なんて歌詞も出てきてて、これは「時々自殺したい気分になる」みたいな意味になるんだけど、いやほんとなんという自暴自棄というか退廃的というか、そうなのよね、人の親になったら死にたいとかそういうこと言ってらんなくなったんだよなぁきっと。そう考えたらこういう歌、若いうちに歌っといてよかったなぁと。

今のヒカルは塞ぎ込むようなことがあったとしても『気分じゃないの(Not In The Mood)』みたいな歌詞になる。たった今凄く落ち込んでいたとしても、『It's just one of them days』、「そんな日もあるさ」って思えるようになっている。

多分、その昔『Me Muero』で感じたような落ち込み方は、今でも変わらずあるんだと思うのよ。ただ、それが「今だけのことで、また違う日には変わっている」と思えるようになったのが違うのではないかと。落ち込まないようになったというよりは、落ち込む自分も人生の一部だと悟れるようになったというか。「山を越えるより風景の一部と思おう」みたいなことインスタライブでも言ってたしな。

でも、そう思えるようになったのも、こうやって26歳の時に『Me Muero』のようなあからさまな歌詞の歌をリリースしていたからなのかもしれないなと。その頃の率直な気持ちを歌として後から客観的に眺められる事が、物事を前に進める力になっている。でもまー何より親になったのがいちばんだと思うけどねやっぱり。だからこそ『気分じゃないの(Not In The Mood)』には息子の歌声が入ってるんだろうし。

いやまぁね、『Me Muero』の歌詞が総て実話に基づいてたら大変なんだけどね。フィクションだとしても、こういう気分の歌が歌いたくなったのは事実ということで。あれからもう14年も経つのか。今年聴けるヒカルのスペイン語の歌は若干ファニーな感じで、いやほんまアーカイブ楽しみやねぇ。