無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

『そういうことは言わないで欲しい』

『自分が何をこの子に与えてあげられるんだろうってよく思うんですけど、私はまず、与えたくない概念から考え始めるんですよ。価値観として伝えたいものもあるんですけど、それ以上に入ってきて欲しくない概念を意識してるんですよね。だから接する機会が多いスタッフの人や他の家族の人達にも時々、「あなたの持ってるコンプレックスや先入観、差別意識が息子に伝わっちゃうから、そういうことは言わないで欲しい。ちょっと気をつけてくれる?」ってお願いすることがあるんですけど、私自身もそういう目線で世界を見ていることが多いです。』

MUSICA2023年10月号のインタビュー記事で私がいちばん狼狽えたのはこれ。大体の問答は「そうだよね~」と軽い気持ちで読んでることが多いのだけど、ここの部分は「何!?」と立ち止まった。いやぁ、衝撃的でしたよ。

私だって自分が傲岸不遜で自分勝手な点については人後に落ちないと思っているが、仕事仲間やこどもの友達の家族(ってことよねここ?)に対して「コンプレックスや先入観、差別意識」について話をする度胸は無い。コンプレックスや先入観については悩んでいれば相談に乗ろう位は言えるかもしれないが、差別意識の指摘はそのまま絶縁や乱闘に繋がりかねない気がしませんか。無差別虐殺とかを生むシステムですよ。そこまでいかなくても普段どれだけ暴力に曝されているか被害者の皆さんに訊いてみればいい。いや二次被害になるから直接は難しいですが。そんななので、流石に怯えたんです。

或いは、こういった内容をオブラートに包んだり、直接的ではなくても角が立たない言い方で伝える技術をお持ちなのか。ヒカルの人柄なら可能な気はするけど、いずれにせよ真っ先に感じ取れるのは息子への愛情の深さだ。総てに優先する対象でないとここまではしねーよ。

でもこれ、ヒカルの受けてきた教育と正反対になりかねないかというあやふやな危うさも感じとれそうでな。PG12だろうがR15だろうがR18だろうが幼いヒカルが観たいものなら制限なく見せてきた純子・照實夫妻とは対照的なような。純子さんは単なる放任だったのかもしれないが(それでもヒカルを大好きなのは徹子の部屋を見ても明らかだけど)、照實さんについては、スタッフダイアリーやZ@u3musicでの発言をみてもあの世代にあっては非常に先進的・進取的で、新しい時代の概念を積極的に取り入れて子育てをしてきたタイプのように思えた。つまり、オープンで、こどもの自主性を尊重し、時には友人として助言するようなそういうスタンスだ。戦後直後生まれはまだまだ家父長制真っ只中な世代だというのにね。

いや、何となくはわかるんだけどね、「臭いものに蓋」とは少し違うんだって。年齢的なこともある。人間が成長する初期はとにかく「生きることを好きになる」のに注力すべきだろう。だけど今回はそれを周りの人間に告げるヒカルママの行動力に驚かされた。こんなことも言うようになったんだなぁと不思議な感慨に囚われたのでありました。差別意識をもってるからって縁を切らずにそのまま付き合いを続けている懐の大きさも含めて、だけどもね。