無意識日記々

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『当時はジョン・レノンのこととかも考えましたね。』

前回冒頭で引用した箇所には続きがあって。

『当時はジョン・レノンのこととかも考えましたね。彼もそれを凄く意識的にやった人だなと思うし、そういう意味でも凄い人だったなって感じるので。』

『当時』というのは『活動休止を決めた頃』だから2009~2010年頃になる。この時期のジョン・レノンといえば2010年12月8日9日に横浜アリーナで開催されたコンサート『WILD LIFE』のアンコールに弾き語りで演奏された『Across The Universe』が思い出される。

同曲はザ・ビートルズのカバー曲でクレジットはお馴染みレノン・マッカートニー表記だが実質ジョンのソロ曲みたいなものでね。当時その選曲は、彼の命日(1980/12/8なのでコンサート初日は没後30周年にあたった)に因んでだと思っていたが、これまた13年越しでその隠された理由がひとつ明らかになった訳だ。

そう考えると、なるほどその『Across The Universe』のリフレイン

“Nothing's gonna change my world.”

「何も私の世界を変えることはないだろう」

というのは、ヒカルの今回の発言

『アーティストとして別ペルソナを立てるのは無駄だし、私には無理だ』

というのと呼応する。「何も変えることはない」というのはつまり、「私自身ですら私を変えることはなかった」ということなのだろう。もうそれは無駄だし無理だし自分を幾つものペルソナに分裂させずに『そこからはただひとりの人間であること、それ以外の選択肢がない。』と腹を括った訳だ。

そういう風に言われてみれば、確かにあの頃人間活動に入る感触が「前向き」だったのとよく符合するなと感慨に耽る。そりゃこちらは寂しかったけど、ヒカルは清々しそうだったし吹っ切れていた。こういう風に「前向きに諦められる」こともまた人生じゃ大切な事だわよね。

なお、余談になるがその『Acrosss The Universe』には

“Jai Guru Deva, Om”

(ジャイ・グル・デヴァ・オム)

というサンスクリット語マントラ・フレーズが出てくる。マントラといえばUTADAの『FYI - Merry Christmas Mr. Lawrence』にも

『Om Mani Padme Hum』

(オム・マニ・パドメ・フム)

というこれまたマントラ・フレーズが出てきていた。これがリリースされたのは2009年初頭のことだから、もしかしたらヒカルは2008年くらいにはジョン・レノンや『Across The Universe』を強く意識し始めてたのかもしれないねぇ。