無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

釣れる自信 & 撮られる自信

で前回~前々回で指摘している通り、今のヒカルさんはかなり抽象度の高い状態にあるので、生まれてくる楽曲もまた具象から少し離れているというか、やや具体性に欠ける。

とはいえそれは『Passion』の時とも『誰にも言わない』の時とも少し違っていて、「扱いが自在」という感覚の話だ。素材に囚われずに料理できているような。何度も引用しているが、

『私の仕事は待つことだと思ってて、自分の海原の時間帯とか海流とか風向き、魚の生態とかもちろんよく知ってるし、どうしたら捕まえやすいか、自分の釣りやすい場所は分かってるんです。』

https://spice.eplus.jp/articles/320799

という語り口からはそこらへんの大きな自信の程が窺える。どこまでを自分でコントロール出来ているか自分自身でよくよくわかっている状態だ。例えば『FINAL DISTANCE』の時のような「作ってる間は何が何だかわかんなかったけど終わってみればあれもこれもうまくいってた」とかいう暗中模索ながらベストの選択をしていった状態でもなければ、素材そのままを放り出した『Be My Last』の時のようなぶっきらぼうさとも違う、なるほど40歳の今ならではの貫禄とでもいうべき余裕が漲っているのが実態だろう。

故に『Gold ~また逢う日まで~』に関しては、当初自分で持ち合わせていた楽想からかなり離れた完成形に持っていった手際が余りにも鮮やか過ぎて、サプライズを楽しめるリスナーには大歓待されたが、「大御所が期待に応えた安心の出来」とかいう路線からは程遠かった。同じくアップテンポの楽曲をタイアップに合わせて改変した『Flavor Of Life - Ballad Version -』のような楽曲は「宇多田ヒカルならではの『First Love』のような王道バラード」という期待に応えていたけれど、今回の『Gold~』は、スロウだったのは最初の半分だけで、後半はあんな感じに曲調がメタモルフォーゼしていた。期待と安心を求める層からしたら自在さや自由度が高すぎたともいえる。

一方でヒカルパイセン、この夏はパリのファッション・ウィークなどにも顔を出すなど、セレブリティとしての顔もしっかりとアピールしていた事実も見逃せない。こちらも「今自分が周囲からどうみられているかはわかっている」からこそフレームに収められる事を厭わなかったし、その佇まいは常に自信に満ち溢れていて、芸能ニュースではややおどおどした態度が撮られる機会がそれなりにあった昔と較べたら隔世の感がある。あの頃は「どうして私なんかがこんなに注目されるんだろう」という、理屈としてはわかっていても実感としては釈然しない気持ちが前面に出ていたが、今ではそこも折り合いがついたということか。

こちらも、「周囲の目線を変えることは出来ないけれど、それに対して自分がどう振る舞えばいいかはわかっている」という意味で、上記の『魚の生態とかもちろんよく知ってるし、どうしたら捕まえやすいか、自分の釣りやすい場所は分かってるんです。』といった発言と軌を一にしている。現在のヒカルはそういうフェイズにあるのだ。

これがここから、更にコントロール・フリークぶりを発揮して我々を翻弄してくれるのか、それとも思ってもみなかった荒波や潮流に飲まれてヒカル自身の方が翻弄されていくのか、まだ何の見通しも立っていないが、今の旅路の出発点が『BADモード』最終セッションであった『気分じゃないの(Not In The Mood)』であることを考えると、より「全く想像もしていなかったコントロールを手に入れていく」過程に今のヒカルはありそうで、楽しみで仕方がないというのが偽らざる今の私の本音であるのでありましたとさ。