無意識日記々

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『私は自由を選んで生きてこられたし、』

今回のMUSICAのインタビューで個人的に大いに衝撃を受けた一言があった。(他でも言ってた気がするけど取り敢えず今発言箇所が特定できたのがここなのでそれを引用しとく)

『たぶん、私ぐらいフラットにものを見られる立場の人間ってレアで特殊なんじゃないかなって思うんですよ。私は自由を選んで生きてこられたし、それで食べてもいけるという、凄くありがたい立場にいさせてもらってるなと感じていて。』

…なんだと!? 『私は自由を選んで生きてこられたし』ですと?? ヒカルが『自由』を肯定的に捉えているぞ! これには本当に吃驚した。(きっきょう、って読むんですねこれ。びっくりです。)

何しろ宇多田ヒカルの歌の歌詞に於いて『自由』といえば、

『見つからない 本当の自由を探してる』(東京NIGHTS)

『予期せぬ愛に自由奪われたいね』(This Is Love)

『自由でもヨユウでも一人じゃ虚しいわ』(Prisoner Of Love

『自由になる自由がある』(真夏の通り雨』)

などなどに見られるように、歌の価値として主軸に置く『愛』に対する対義語として、やや否定的な価値として捉えられてきたからだ。『東京NIGHTS』では「本当の自由なんていう存在しないものを探し続ける愚かさ」を歌っているようにすら聞こえるし(やや穿ち過ぎだけども)、『This Is Love』なんてタイアップ相手の名前が「Freedom」(そのものズバリ“自由”ですよ!)なのにそれを愛に奪われたいと歌うし、『Prisoner Of Love』なんてこのタイトルの"of"って同格のofなんじゃないか、つまり囚えることこそ愛、不自由こそが愛だって言ってるようなものなんじゃないか?って疑っちゃうし。そして『真夏の通り雨』に至っては「自由=死」ですよ? ここまで「自由」という言葉を否定的に使う作詞家、今まで居なかったんじゃないかな?? 大袈裟? (…ふと、尾崎豊はどうだったんだろうなと気に掛かったけどね、それはさておき)

そのようにずっと思ってきたので、今回のインタビューでヒカルが自由を肯定的に語った事について心底驚いたのだ。それらの歌詞はヒカルの人生観を反映したものだと思ってきてたので。これも人間活動を経たお陰なのかな。それともやっと、ヒカルが「本当の自由」を与えられた(或いは捉えた(若しくは手にした))ということなんだろうか? まだよくわからないけれど、前回触れた「自信」と、この「自由への肯定」は繋がっている気がするし、これらの様態が同時期に現れているのは偶然ではないと思われる。いや、私がそう思いたいってだけ? この点は、今後も慎重に発言をウォッチしながら判断していかないといけないなと思います。宇多田ヒカルの歌詞世界に大きな転換をもたらしていくかもしれないので、ね。