無意識日記々

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令和になってもしつこくフラキシ・アピール!

ミュージック・ビデオの事を考えると(と、前々回からの続きを話し出す)、いつも思い出すのが「Fluximation(フラキシメーション)」の企画だ。

https://studio4c.co.jp/works/pages/19.html

詳しくは↑上記リンク先を参照して欲しい(YouTubeで「Utada Fluximation」検索もね)が、要は「楽曲と映像の距離感」がいちばん私に望ましかったということなのです。

ミュージック・ビデオってのは楽曲に寄り添いすぎてもいけない。『HEART STATION』のビデオを作るからといって肌寒い雨の日に訳ありげな二人が車に乗ってカーラジオを聴いていたら余程演出と編集に工夫を凝らさない限りカラオケムービーにしかなれない。歌詞の情緒は言葉から絵を想像するから生まれるのであって、最初から絵が見えていたら言葉は蛇足にしかならない。逆もまた然りってことだね、歌があるなら絵は蛇足でしかない。

そんな足枷が最初からつけられている状態でMV制作はスタートする。そりゃ難しい。

加えて、映像監督の作家性もある。楽曲が先にあろうとそこは「私の表現領域」なんだから、個性や独創性を出そうとする。これは人の手を通る以上避けられない。

ただ、最近のアニメ作品をみるとそういう「幼さ」や「いなたさ」は、ない。最近話題に出してる「不滅のあなたへ」にしろ「葬送のフリーレン」にしろ「薬屋のひとりごと」にしろ、原作リスペクトが凄まじく、映像監督の作家性云々は(素人目には)全く封印されて、「漫画をアニメにする作業」に集中している。そこには、大人びた職人技と職人魂が漲っている。かの有名な「鬼滅の刃」に至っては原作の拙さを大きくカバーして空前絶後の超特大ヒットを記録した。原作を100パーセント活かす技術も120パーセントにする技術も、特定のスタジオや個人に限らず業界全体として備えているようにみえる。

…っていうのも、隣の芝生が青く見えてるだけな気もするけど、やっぱり羨ましい。アニメ業界のクォリティや進取性で宇多田ヒカルのMV作ってくれたらいいのに…とついつい呟いてしまうが、既に第一人者である庵野秀明&辻田恵美コンビに『One Last Kiss』を作って貰ってたんだった。い、いや、でも、あれは編集を担当してくれただけだから撮影は別で、アニメーション技術が駆使された訳でも…としどろもどろになる私にくだんのFluximationがトドメを刺す訳ですよ、えぇ。20年近く前になるけれど、『EXODUS』の全曲に対して、それぞれCM程度の流さではあるけれど、イメージに合ったアニメーションMVが提供されたのよね。いやはや、もう恵まれてましたねヒカルさんは。自らの才能のお陰ですけども。

つくづく、時代に対して早過ぎたなと。もし今Fluximationと同様に、ニューアルバムの楽曲のイメージ・アニメを30秒程度ずつ制作すればショート動画全盛の現代にバッチリフィットしただろうね。アニメに対する偏見も20年前と今では全然違うし。なので事ある毎に私もこの日記で「またFluximationみたいなのやろうよ」と言ってるんだけど、これまた何度も言ってる通り今のEPICの皆さんは『EXODUS』を手掛けてないからそのプロモーションの一環であるFluximationについても「他社のアーティストが他社の作品でなんかやってた」程度の事でしかない。なおヒカル本人に関しても当時制作は丸投げだった。あれ?でも記者会見してるよね…?

https://ascii.jp/elem/000/000/348/348198/

…してたわ。ご参照の程。

まぁあれだ、早過ぎた好企画なのでまたやってくれていいよっていう、いつものアピールなのでした。ただ、時はより満ちてきてる気がしますね令和の現代。今ならフルコーラスで宇多田ヒカルのアニメMV制作するよって監督10人以上集まる気がするけどな。どうなんでしょうねぇ?