無意識日記々

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言葉に出来ない事

同じく宇多田ヒカルの「黙らせる」歌としては

『おしゃべりな私を黙らせて』

と歌う『大空で抱きしめて』がある。タイトルからして既にそうだが、この歌は「言葉じゃなくて行動で示して欲しい」というコンセプトが軸にある。

『最後と言わずにキスをして』

『四の五の言わずに抱き寄せて』

という風に『言わずに』を連発する。そこに言葉は要らないのだと。

前回みた「言葉」や「音」の対義語は、「無言」や「沈黙」、即ち「静寂」であった。音も何もない空間。それとは対極的に、身体的な感覚、物理的な事象もまた「言葉」の対義語たりえるのである。裏を返せば、「言葉」は静寂と行動の狭間のどこかしらに生まれているのだ。

果たして歌詞を書く身としてそこまで、ある意味「言葉」を“貶めて”しまっていいのだろうか?と少し不安になりそうな所だが、ヒカルは昔のインスタライブで「言葉とは何か?」という問に対してこう答えている。

「言葉は、言葉で伝えられない事を伝えるもの」

なのだと。まるで禅問答だが、つまり、最初っから言葉は、言葉に出来ない事を託されて発せられているのだ。静寂や行動に負けてしまうのは当たり前というかもう最初っから織り込み済みなのだ。なので、「それでも敢えて私は歌う」という負けて潔く散る覚悟で居るのではなく、「だから私は歌うんだ」と言う時の単なる前提として、「言葉に出来ない事」と付き合っているに、過ぎない。言葉に出来ないからこそ言葉を駆使して伝えようとする。そんな中で、黙ってたり抱きしめたりした時の方が気持ちがよく伝わる様子を目の当たりにしてまた言葉の拙さに気付いてそれと付き合っていくのが作詞家というものなのだろう。因果な商売だし苦悩だらけだろうけれど(毎回レコーディングデッドラインギリギリまで悩んでるもんねぇ)、それでも何だか楽しそうだなぁと羨む気持ちも感じてしまうのでありました。いい歌詞書くもんねぇ、ヒカルは。