無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

そろそろヘアカラー(違

ここで「うん、知ってた。」とかって呟いちゃうと負け惜しみ確定なのでまだ我慢する。そうなのよ、仮装報告がまだないのよさ。みんなで待ち構えるとひらりと躱してくれるのかな。ままならないのも素敵でいいが、コスプレはもっと素敵だからまだ諦めずにいたいと思います。

ま、気を取り直していこーかな。

「予想を裏切り期待に応える」というのは宇多田ヒカルを形容する時にしばしば見掛ける言い回しだけれど、そもそもエンタメってのはこのバランスをとることが難しく、故に至上命題になる。何もかもが予想通りだとつまらないし、かといって何一つ期待に応えてくれないとそれもまた相手をする気が失せる。また、どうだいいアイデアだろうと心理的優位に立たれても面白くない。マウントをとられるのはなかなかに嫌なものなのだ。

結局は、歩調を合わせてくれるものがいい。喜びも戸惑いも含めて、自分と同じく楽しんだり驚いたり。「これ、マジで面白いから!」と言って仲間に引き入れてくれるような力強さとかね。でもヒカルパイセンの場合は、思わぬ所で心が曝け出されてしまうのが魅力かもしれない。

つまり、予想外であったり、意表を突かれたりといったアイデアが、自分の中に既にあったのだと気がつかされる瞬間。例えば『キレイな人(Find Love)』の

『欲しいものを手に入れるだけでは

 なれないよ、なりたいような人には

 いつまでも物足りない

 Find love, til I find love, til I find love』

という歌詞。普段から、あれが欲しいとかこれが欲しいとか、大なり小なり誰にでもあるし、「こんな人間でありたい」という希望や願望も、人としてもちがちだったりするけれど、どうにもそこらへんが自分の中で統一されていないというか、うまく整合がとれていないなという、「もやもやした気分」を抱えている時期があって、そんな気持ちを知っている人がここの歌詞に出逢った時に「あ、これか」と思うのだ。そうか、この二つ(欲しい物となりたい人)って相容れないんだなという、気づき。ヒカルに『なれないよ』とそう歌われた時には既に、自分の中で半歩そちらに向かっていたのである。ヒカルはそこからもう半歩を付け足してくれるのだ。

これが、大きく飛躍しすぎてもいけない。人はそんなに一足飛びには飛べない。また、馬鹿丁寧過ぎてもいけない。それこそ、馬鹿にされているように感じてしまう。ここでその「歩調を合わせる」感性がものをいう。ヒカルの歌詞は、独り言のようでいて独り言ではない。ここはちょっと難しいのだけれど、『Gold ~また逢う日まで~』で

『別れの言葉じゃなく、独り言

 また逢う日まで

と歌っているけれど、この『独り言』の言葉は、当然のことながら歌を聴く我々には届いているのだ。そんなメタな所の距離感が大事だったりする。歌のストーリーを通じて独り言を聴かせてくれている。だから、これは助言でもないし、導く言葉でもない。ヒカルが自分に言い聞かせている言葉を私たちとも分け合ってくれているのだ。だからそれはまるで自分の言葉のようでもあるし、そして、ちょっとだけ…半歩だけヒカルパイセンは先を行っていて「あなたもそこを歩けるよ」と言ってくれる。それくらいの歌詞をいつも歌ってくれているから、どうにも心を捉えて離してくれないのでありました。

で、何が言いたかったかというと、今年のハロウィンは『ちょっと歩幅が合わなかった だけ』なのかな?とな。(…全然気を取り直せてなかった件。)

『そろそろ部屋から出ておいで』

『思わせぶりでは好かれてしまうよ?』

『随分話が違うじゃないかい

 今すぐ厭なら明日にバイバイ

 That's the way it is

 いつまで待っても損なだけなら

 出直してくるよ 今はバイバイ

 That's the way it is, yeah』

…だなんて『はやとちり』の歌詞が、今夜はよく合う気がするのでしたとさ。ちゃんちゃん。