無意識日記々

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宇多田共和国についての独り言。ある意味"日記"らしいかも。

前回「宇多田共和国の名前を細々とでも残し続けていけたらな…」てな趣旨の締め方をしたけれど、時代と共にウェブの在り方もずっと変化を続けているので、今後どうなるかなんてあたしゃサッパリわからない。

宇多田共和国が生まれたのは1999年1月20日Hikkiの誕生日に間に合わなかったお陰で毎年祝えてるね)。例えばそれはi-modeが始まるより更に前なんだそうな。それくらいインターネット広範利用黎明期に出来たウェブサイトだったんよ。

当時はウェブサイトのことをホームページと呼んだものだが、イメージとしては確かにひとつのURL下に自分の城を築くみたいな感覚だった。HTMLを手打ちしたページがあり、写真を集めたページがあり、プロフィールのためのアイコンを苦心して仕上げ、cgiをレンタルして掲示板やチャットルームを設置したり、カウンターを設置したりね。(ザ☆インターネット回顧厨)

そんな中でサブドメインまで持って人気投票やライブレポやレアグッズコレクションなど多岐に渡るページを居並べた宇多田共和国は、確かに国と呼びたくなるような存在感だった。もともとウェブサイトってのは島が点在しててそれらをハイパーリンクのネットワークで繋ぎ合ってるようなイメージだったんだけど、共和国は諸島や列島を従えてるみたいだったねぇ。

…って、こんな話が延々続くと読者が減るのでここらへんで切り上げるけれど、要はあの時代のインターネットにおいて「宇多田共和国」って名前はその名の齎すイメージと、実際にやってることが、とてもよく符合していたという話なのでした。

で、じゃあ今のインターネットではどうなの?と訊かれると毎度私は「国土を失って漂流中の共和国」とか答えてたりする。あんまり笑えない。「宇多田共和国はいつだって貴方の心の中に在って…」とか言い始めたらますます笑えない。いや、笑って貰えたらそれに越したことはないんだけども。

そんなんでも特に何もしようとしないのは、あたしがそもそもコミュニティとか社会とか集団とか自治機構とかの「人の集まり」自体に馴染めない性格だからだったりする。その最たるものである「国」なんてものは、最も思い入れがないと言っていい。そんなヤツが名乗っているのですよ人生の皮肉…!

私が昔からTwitterが好きなのは、タイムラインをカスタマイズするのが各個、自分自身だからだ。昔はそれこそ掲示板やチャットルームといった「公共の場」があって(鍵付き含めてね)、そこにみんなが集まるというのが主流でありそういう感覚だったのが、Twitterでは自分が参加したい会話に参加し、自分が語りたいテーマについて語り始めればいい。他人の発言に関しても必ずしも反応は必要なく、それこそいいねやリツイートをすれば十分だったりする。こういう、個々の価値観を重んじながらも、それでいて人々の力…知識や知恵や親切や思い遣りなど…が集積されてみんなで分け合える空間、いいなぁと。今は見る影もありませんが。いや、自分の周りは有難いことに昔とそんなに変わらないけどね。

そんなことを思う私が、複数アカウントであるとはいえ「国」を名乗ってるのがこの10年以上ずっと可笑しくってね。まぁ可笑しくて楽しいから続けさせて貰ってるんだと思うんだけど、だからこそ「国」のこれからの在り方ってなんなんだろうな?ってなってるとこ。

まーね、今や「キョウワコク」っていう固有名詞になってるとこあるのよ。こう呼ぶとき誰も「国」のイメージ持ってないもん。私からしてそう。本来なら「宇多田ヒカルを戴いて共和国民たるファンが集い楽しむ理想的な場所」みたいなイメージを持たせたかったんだと思うけど(前述の通りあたしゃWEBMASTERと一切絡みがなかったのて何考えてらしたかとか全然わかりません)、今はホントに名前が残ってるだけで。あれだよ、マチュピチュって名前の響きだけのもので、これの本来の意味とか誰も考えない、そんな感じで「ウタダキョウワコク」って名前が辛うじて残ってんのよね。(なおマチュピチュとは「老いた峰」という意味らしいです。「老いた身ね」!? え、ノイタミナ?(違います))

んでTwitterもサービス存続自体があやふやだし、さてここらへんで宇多田共和国の名前をウェブのどこらへんに継いでいこうか考え始める時期に来たかなと思いつつ今週は回顧厨なのでした。ここからどう進むかを考える為には、今までどこをどう歩んできたかを振り返ってみないとね! 普段しない昔話をするのもは未来への道標を見つけてみたいからでした。