無意識日記々

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わからないことばかり

昨日Amazonの上半期(1月1日〜5月31日って5ヶ月しかないんだがいいんだろうか)の売上上位が発表されていたのを見たのだが、相変わらずヒカルは配信で強い。GBHやBWPbAMやSC2がランクインしていた…

…といっても、AmazonのMP3セクションの品揃えとヒカルの知名度を考えると「他にあんまり買えるものがないから」という雰囲気はありありと伝わってくる。ヒカル陣営はここでも積極的に新しめの分野に進出している。先日からクラウド々々々々と連呼しているのは、恐らくU3&EMIが率先して乗り込んでくるだろうと予想しているからだ。

ヒカルの場合、前回書いたような「カラオケが隆盛だからカラオケ向きの曲を」という発想で曲作りはしない一方、自分や周りの人の音楽への接し方の変化やファン層ごとの乖離には敏感だ。iTunesで自分の曲を売るようになったのは、自分がiPodを普段から利用していたからだろう(具体的なタイミングは不明だが)。そういう地に足のついた自然な変化なら、曲作りに影響を及ぼす可能性があるだろう。

人間活動中に音楽とどう接するか。たとえば生演奏会を積極的に鑑賞するようになるのか、家でYoutubeをみまくるのか。楽器作り職人のもとを訪れたり、様々なミュージシャンに会ってみたりするのか。毎度指摘している通り、人間活動とはアーティストとしてのプロフェッショナルな活動から遠ざかる事であって音楽から離れる事ではないので逆に目一杯音楽活動に嵌ることだって有り得る。今まで総て仕事と結びつけて音楽を考えていた時間から離れられるのは有益だろう―光の人生にとって。

とはいえ、ただ聴くという行為に関していえば飽和状態が近いことは明らかだ。今でもiPodには数万曲を載せられるし、クラウドともなればお金に糸目をつけなければ実質アクセスできる音源は無尽蔵である。聴きたいときに聴きたいだけ買う、というのは裏を返せば「取り敢えず買っておく」という行動が必要なくなることだし、結局は曲を買うという行動自体が曖昧になってゆく経過でしかない。

勿論そういった風潮は今に始まった事ではないし、多くのミュージシャンがライブに活動の場を求めているが、これだけメディアの変遷を経ても変わらず音楽の強さを失わずにきた宇多田ヒカルが、殆ど変遷の終局ともいえる場面に立ち会った時に、一体どういう方法論を取ってくるか、今のところさっぱり想像がつかない。またアナログレコードでも出しますかっ。