無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

Pa Pa Pa Pa Parody

Parodyでの「あなた」と「君」の使い方も又、秀逸である。それぞれ歌の中では一度ずつしか使われておらず、Automaticのように歌の描く物語の要になっている訳でもないのだが。

歌は、テレビや冷蔵庫を擬人化して描写する所から始まる。この導入部のお陰で、この歌は唄い手によるモノローグ、独り言なんだなという構えが何となく出来上がる。聞き手である我々は、メッセージソングとして頑張れとか負けるなと励まされるつもりも要らなければ、誰への恋心を聞かされる訳でもない。まぁ、「最近こんな感じなんだよね〜」とソッポを向かれて勝手に話し出されたような感が強い。

どうやら締め切りに追われていて、前のシングルのタイム・リミットの節を敢えて出して"パロディだ"と言っているらしい、笑い話なんだけどこれも私の人生、とややシニカルな独り語りが連ねられてゆく。『誰かの真似じゃない私はこれから続きを書きます』。そうですか、頑張ってください。聞き手は大して何も押し付けられず、淡々と独り言を受け止めるだけだ。

二番に入るとほんの少しだけ風向きが変わる。『みんなで同じ方向へ』―みんな、の話。一般論である。人生訓だろうか、何か最近そういったことを感じた、という事があったのだろうか。俄かに、聞き手はその"みんな"の中に取り込まれる。ほんのり、"あなたもそう思わない?"の種が蒔かれる。

場面は一転、意外と狭いエレベーター。『誰もいない』。また独り言。独りでいる唄い手。

さらに一転。『でも誰だって』―"みんなそうでしょう?" 前々段で柔らかに蒔かれた種は、前段の『誰も居ない』の一言を苗床にして言葉の花を咲かせる。『力を出せずにあなたは何もいらないフリをしている』―ここまで私(自分)とみんな、誰もいない、誰だって、と個の心情と一般論の二極を行き来していた所に現れたこの"あなた"は、唄い手が自分自身に話しかけたような、聞き手に話しかけたような、絶妙な柔らかさを湛えている。みんな、という個性埋没を通して、じゃあ自分はどうなんだろうという自問自答を聞き手が共有するようにもっていく。巧みである。

ここで聞き手と唄い手が同化するから『I know よく似た二人』の一節に共感できる。いきなり冒頭でこれがきても、僕らにとっては他人事にしか聞こえない。ここまでのもってき方で、よく似た二人が比較された時の"自分の気持ち"がすっと心の中に生まれてくるのである。

もはや他人ではなくなった我々だからこそ、最後の『きっと他人にはfake story』の切なさが共有できる。そうさ、他人にはわかってもらえないかもしれないさ、だけどね―そういう気持ちに対して我々は「うんうん」と頷く。唄い手と聞き手の一体感は見事に醸成された。

しかし、この唄い手は歌の最後の最後で『続きを待てずに私はこれから"君"に会いにゆくよ』と歌うのである。ここで得られる感情には、聞き手によって解釈が分かれる所だろう。まるで高速道路で突然道が別れるみたいに。私は、突然唄い手にソッポを向かれたように思えた。「なんだ、彼氏さんいはるんですか」みたいな感覚。これはたぶん、この歌が出た当時ちょっとヒカルがスレッカラシ風味だったからという先入観もあると思うが、"あなた"で共感させておいて"君"という別れ道を最後に提示した手法は巧いなぁと感心させられたものだ。あれだけ共感させておいて最後に突き放す。惑わす事が特技なだけの事はある。