無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

何が言いたかったんだ俺は。

いや〜こんな暑い日はMoon Safariが堪らない。爽やか極まりないウェストコースト風味のヴォーカルハーモニー、ブリティッシュフォークに通じる牧歌的な風景、北欧ならではの透明感、どれをとっても素晴らしい…

…って何故だかBlogではMoon Safari推しになってしまうなぁ。別に彼らばかり聴いているのではなく、秋の新譜に向けてMegadethの旧譜の復習をしたり、蒸し暑さに合う音楽を探して「やっぱドビュッシーだよねぇ」とピアノの調べにまったりとしたり、色々な音楽を聴いております。

ヒカルの音楽をより深く楽しむ為には、様々な音楽を幅広く聴いた方がいいのだろうか。

いや、実はそんな事はない。デビュー当時ありとあらゆるミュージシャンが宇多田ヒカルを絶賛していたが、不思議な事にヒカルの魅力はどのジャンルの人々に対してもセンスや技量で圧倒しているというよりは、即ち各分野への具体的な知識や理解によるものではなく、普遍的な音楽の魅力を持っている事であった。

確かに、様々な音楽を知っていればそれと比較してここが凄いあそこが巧いと指摘する事もできよう。それによって識者を"黙らせる"事も出来るかもしれない。しかし、ヒカルの曲はそういう人を圧倒するような能力の表現の場というよりは(いや確かに歌は圧倒的に巧いけどね)、もっと根源的な、「だから音楽が好きなんだよね」と人に"言わせる"魅力に満ちている。この点が際立っているのだ。

さて、では、この根源的な魅力はどこまで人類にとって普遍的なのか。UtaDAのデビューは、その点について何らかの答を与えてくれる筈であった。しかし1stは米国のレコード会社のサポートをまともに得られず、2ndは十分なプロモーション態勢で69位という結果を残した(iTunesでも18位まであがった)のだが本人が直前離脱、となんとも中途半端なカタチとなった。流石にこれでは世界の人にUtaDAの名を知って貰える所までいかなかっただろう。

先日の日曜日、アジアでの宇多田ヒカルのリリース範囲を調べる機会があった。それによるとEMIから直接輸出して正規盤の出ているのはタイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、韓国、中国、台湾、香港、シンガポールの合計9つの国と地域にのぼる。日本含め、アジアではこれだけの知名度を誇るのだ。First Loveはこれらの国と地域で合計200万枚以上売っている。実績は十分なのだ。

西欧圏では、まだ名も知られていない。次に"デビュー"する時には、どんな名前でも使えるだろう。が、やはりどこをとっかかりにするかは考える必要がある。余りに魅力が普遍的であるが故に届けば人の心を打つが、まだ届いていないのだ。

「届く」。その為には2つの方法がある。あらゆる他流試合に果敢に挑み自らの魅力な応用範囲の広さを披露することと。或いは、他の誰にも似ていない特異な音楽性を確立する事。いずれの方法論をとるにせよ、光にとっては今の時期、幅広い音楽を聴いてみる、体験してみるにはちょうどいいだろう。そうやって得た何かを光が濾過して僕らのような音楽に対して何の知識もない人間をまた感動させてくれればいい。って、考えてみればえらい無理難題を押し付けてるんだな〜それ。