無意識日記々

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"中くらいの焼き加減で"

梶さんはよく「インターネットはメディアじゃない」と口にする。恐らく、ここでいうメディアとはマスメディアの事で、そうであるならば言いたい事は解るし同意するものであるが、言葉遣いには何となく引っ掛かる。マスメディアの事をメディアと呼ぶ感覚の話。

確かに、昔はメディアといえばマスメディアの事を指していたような気がする、とあやふやな言い方しかできない位、私の"メディア"という語に対する感覚は、恐らく昔と較べて、違ってきてしまっている。私にとってメディアとは、もうその英単語の本来の意味、media〜mediumの事であり、ミディアム、中間、媒介、媒質、なかをとりもつもの、という事でしかない。メディアといえばまずインターネットであったり、CDやDVDやSDカードなどの記憶媒体であったりする。日常会話での使い方は「どんなメディアに保存してんの?」といった具合である。

多分、私の例は些か極端なのだろう。まだまだメディアといえば世間ではテレビであり新聞であり雑誌であり、する筈だ。が、PCとネットが"なかをとりもつもの"の中心になって私の場合もう10年以上経つので、そもそもマスメディアというものに(元々あんまり期待していなかった所もあったので)考え方の軸足を置く発想がなかった。何だか遠くの方で大騒ぎしているなぁ、そんな風にいつも見ている。

例えば新聞の社説などはちょっと長めの匿名の落書きに過ぎず、2ちゃんねると同じ文化の裏表だなぁ、という感覚である。これによって何百万人という人々の思想活動に影響を与えるかもしれない、という認識はあるものの、語られているテーマに関して私が何か知りたければまず専門家のBlogを検索するだろう。あそこを書いているのは語っているテーマに関しては素人の人な確率が高い為基本的に役に立たない。寧ろ参考になるのは、どこの社説がなにを取り上げ、更にテレビ局とどう連動して世論を形成しているか、といった点であり、それを知る為のシステムはやはりインターネットである。私にとっては、マスメディアへのアクセスも、他の個人Bloggerへのアクセスと変わりなく、ただ付帯項として電波と販路を確保して影響力が大きい事を考慮に入れるというだけだ。

文章に関しては元々そうだったが、Youtubeニコニコ動画などのストリーミングによって映像と音声も相対化された。テレビも、いつのまにかネットを中心としたシステムのいち構成要素に過ぎなくなった。まぁもう10年間PCで地上波見てるからなんだけど。こうなってくるといよいよマスメディアという感覚は消えていく。実際、動画放送でいちばんよく利用するのは圧倒的にittvだったりする。確かに個人的趣味の偏りのせいでしかないのだが、自分に必要な情報を手に入れる為にマスメディアにはほぼ何も期待してよくなったのは僥倖といえると思う。

冒頭に戻る。梶さんは「インターネットはメディアじゃない」という"言い方"をする。じゃあインターネットをどう呼ぶのだろう。まぁ、インターネットって呼べばいいけど、私のようなマスメディアというシステムに頼らなくて嬉しい人種には、このキャッチフレーズ(って別に彼はそんなつもりで言ってるんじゃないだろうけど)は響かない。寧ろ、私の言葉遣いに従えば、今や旧来のマスメディアはメディアとしての利便性に欠けていて使いづらい、とすら思う。マスメディアは"メディア失格"、そんな過激な言い方もしてしまいたくなる。

彼とはそんなに世代が違わないし、所詮今言ってる事は単語の選択に過ぎないので本質的ではないのだが、光の不具合になったパソコンを治療できる程詳しい人が、何故そういう言葉遣いでいるのか、という感触を覚えた事実がある、という事はここに記しておく。とまぁそれだけかな。実際、全国規模のレコード会社のA&Rなんだからメディアといえばそりゃ第一にマスメディアでないと困るよね、とは理屈ではよくよくわかってるんだけどね。

なお、ここ10余年、私にとって最も重要だった"メディア"は、Message from Hikki/UHU である。ここを中心にして世界は回ってきた。それはこれからも変わらない。インターネットがある限り、はね。