無意識日記々

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据わりのいいブランドの立ち位置

宇多田ヒカルというブランドは、周囲から売れる事を期待されている、と何度か書いてきた。

異常なのはこの「周囲」の範囲の広さである。EMIやファンが売れるのを望むだけなら普通だが、他のレコード会社やそこに所属するアーティスト、更には普段邦楽業界から無関係な人間にまで「宇多田は売れている方が据わりがいい」と(半ば無意識的に)思われている。要はライバルに嫉妬されるという状況が皆無なのだ。

これは、理由が至極単純で、実力が図抜けているからだ。作曲家も歌手もその才能には脱帽せざるを得ない。そもそも勝負にならないと思っているのだ。だからおしなべて尊敬されている。そんな最上級のアーティストが、自分より売上が下だったらやりづらいったらありゃしないのである。ヒカルは誰よりも売れる事で、そういう据わりの悪さを解消する事が出来る。その為、ヒカルが売れる事は業界全体にとって望ましい。

10年前に浜崎あゆみと同日発売になった時もそうだった。宇多田に勝ちたいとは勿論思ってはいただろうが、構図としては完全に宇多田の発売日に浜崎をぶつけてきた感じだった。宇多田がバカ売れして初めて乗っかる方も安心して挑む事が出来る。構図を維持する為にまず必要な条件はそれだったのだ。

既に世代交代が進んでいる事やアイドルの隆盛などで既にヒカルが年間一位をとる事もなくなってきている。人間活動後もこの流れは変わらないだろう。しかし、ヒカルの実力は落ちそうにない。作曲力も歌唱力も、現状維持で既に誰も太刀打ちできない。そうなった時の"ねじれ"に対して、皆の感じる据わりの悪さ、気まずさはどうなっている事やら。

大抵、普通はレジェンドクラスのミュージシャンは新譜が大して売れなくてもツアーの動員数で威光をみせつけるものだがヒカルはそういう路線にはきていない。

何より、今までだって本人がそういう"大御所感"を嫌ってきていた風がある。

とはいえ、孤高なクリエイターとして業界の中に独自な地位を築き「あの人の世界」を構築して別格視される、という路線にも足を踏み入れない。楽曲にしろプロモーションにしろ、なぜかメインストリームで消化されるポジションをとってしまうからだ。

こういう感じでみてみると、今の宇多田ヒカルブランドの凄さみたいなもんを次の世代に伝えるのは案外難しいのではないか、と思えてくる。別にそんなことしなくていい、曲ごとに勝負できれば、と言ってしまえばそれまでだが、周りがヒカルブランドの扱いに戸惑う機会もきっと増えてくるだろう。そういう時に生来の優しさが裏目に出なければいいが。

宇多田ブランドとか関係なく宇多田光を愛している人にはあまり意味のない話でしたねー。