無意識日記々

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"負けず嫌い"は誤用だ誤用だ!

という訳で、"負けず嫌い"の話。

見ればすぐわかるが、これは日本語として破綻している。負けるのが嫌いなら"負け嫌い"が正しい。否定の"ず"が来ているのだからそのまま解釈すれば"負けないのが"嫌いと反対の意味になってしまう。

他にも"負けずに嫌っている"という解釈も出来なくはない。勝負自体を避けて、それで嫌っているという意味だ。若干意味不明だが意味が通らない事はない。しかしやはり苦しい。

こんな間違いが起きた理由は至極単純、十中八九"食わず嫌い"との混用だろうと考えられる。こちらは文字通り"食った事もないのに嫌っている"意。音のリズムがこちらの方がよいから広まった。そんなもんである。

でもま、人は元が合成語だとしてもいったん単一の単語として流通してしまえば言葉の構成なんて頓着しなくなる。"マケズギライ"という新しいワン・ワードが"負けるのが嫌い"の意味だと覚えてしまえば、不自由はない。

宇多田ヒカルは、その"マケズギライ"であり、それを率直に歌ったのがFight The Bluesだ。『I hate to lose』 ってまさかヒカルの歌詞に『hate』って語が出てくるなんて吃驚した。で何がhateって戦争とか殺人とか理不尽とか貴腐人とかでなく"to lose"、負けることである。総てを差し置いて忌み嫌い憎むべきは敗北なのだ。どんだけマケズギライやねん。

その前段、"こらえた涙はぼくの一部"とある。一言でいえばこれはがしんしょうたんである(なんで変換がないんだめっちゃマヌケな字面やわ)。

以前、1番の歌詞『流した涙は僕の自由』について解説した事があったここでいう"自由"とは。和英辞書で自由を引いてみるとFreedomともうひとつ、Libertyがある。FTBでの自由はこのLibertyの事で、要は流した涙は僕の感情の解放の象徴なのだ。

では逆に。流さずにこらえた涙はどう解釈すべきか。こちらは存外単純で、飲み込んだ涙はそのまま次への糧となるのだ。"いい経験をしたね"という訳である。涙を呑む、というからには何か悔しい事があったはずで、でもそこで泣き崩れて敗北を認めてしまうよりこれを糧に研鑽を積み捲土重来(こっちは変換あんのかい!)を期す、というのがこの一文の真意である。ならば次に『I hate to lose』とくるのも自然であろう。

更に次は『鳴かぬなら鳴かせてみよう時鳥』とくる。がしんしょうたんとほととぎすだったらどっちが難しいだろう…という疑問はさておき、ってなんか悔しいから自力で出しとこう。薪に臥せて胆嚢を嘗める…ってちゃんと全部あるじゃんか…臥薪嘗胆ね。

話が逸れた。時鳥だ。これは、今の現状は思うようにならなくて涙を呑む日々だけど負けっ放しはチョー嫌だから何とか工夫して最終的には勝って笑ってやるぜ笑う門には服着たるんだぜ!いや待て今まで裸だったんかい!(お約束)

まぁ、確かにリングにあがってたんならパンツ一丁だから裸みたいなもんか。そして勝利の凱歌をあげて漸くガウンを羽織る。なんだ、着たるで合ってんじゃん。今度からこれでいこう。

だからってFTBを「あしたのジョー」の主題歌には推薦しませんけどねー。


話が本当ににとっちらかってきたので今晩はこの辺であでゅー☆