無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

案外愚痴っぽいエントリは珍しいのな

引き続きutadahikaru.jpのページをチェックしてみたら、メッセの投稿時刻がずらっと削られている! ついでに曜日も。「移行作業お疲れ様」な気持ちに変わりはないし、手間を増やしてもメリットがないのはわかるが、コアなファンにとっては投稿時刻は案外重要なものなのだ。曜日は調べればわかるから削ってもいいんだけど便利か不便かと言われれば不便かな。

例えば2002年12月28日の4つのメッセージなどは、時間帯と時間間隔がわからないと、読み直してもイマイチ面白みが掴み難い。…とこう書いただけで「あの時の話かな?」と反応出来てしまう人間がここの読者には何人も居たりする。まぁそれは線で補完すればいい事なんだけど、あの出版以降のメッセージ、即ち、2009年から2013年、そしてこれからのメッセージには投稿時刻と曜日が表示されないのだろうか。特に声高に修正希望とかはしないけれど(こんなアホに付き合ってたら梶さんの身体が保たない)、やぱちと寂しい。

まぁそれでも不思議といえば不思議である。各種フィードや一部のTwitterクライアント、そすてスマホTwitterは、今や秒刻みで情報を伝えてくるのが日常になっている。そんな中で記事の投稿時刻を表示しないという選択は時代というか感覚に逆行しているような。

メッセージはTwitterなどとは違い、じっくり腰を落ち着けて読むものだから、という理由も頷けるが、例えば私にとってTwitterは、"リンクを踏む為の窓口"であり、結局消費するコンテンツはそこから先のニュースであったりBlogであったり動画であったりする。全く役割が違う、というか、Twitterとは「Message from Hikkiを更新しました」という告知をする為に存在すると言ってもいい。中間を媒介するという意味でまさしくメディアである。このメディア性と全世界を舞台にしたチャットルーム状態を纏めてひとつにして提供しているからこのメディアは革新的なのだ。

それに対する差別化の意味合いは、上記の通り、あまり鮮明でないといえるんじゃないか。グダグダ言ってるが要するに思い出の記録の一部が削除されて少しガッカリしているだけだ。何度か寝れば慣れるだろう、たぶん…。