無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

想起で塗り替えられていく感覚たち

遂にリリースになったハロウィン/パンプキンズ・ユナイテッドのライヴ盤を聴いて私御満悦中。

28年間絶え間なく聴き続けているバンドだけあってどの曲を聴いてもその当時の事が思い出され…というのであればよく聞く話だ。あの時は高校生だったなぁとか、引っ越したばかりで、とか。歌と思い出が結び付いているのは常道だ。

しかし、私の場合はなんかちょっと違うようで。思い出すのは具体的なシチュエーションとかではなく感覚の方、「初めてその曲を聴いた時にどんな風に感じていたか」の方だ。具体的なシチュエーションはそこから意識的に手繰り寄せないと思い出せない。

なので、時折混乱するというか面白く感じるというか。たった今自分が昔聴いた曲を聴いて感じているフィーリングは想起されたフィーリングであって、今目の前の音楽によって直接齎されたフィーリングではないと自分は感じている訳だ。言い方を変えれば、同じ曲を聴いても28年前と今では感じ方が異なる。そしてそれを私は知っている。

それは、昔の曲を聴く度に"再検討"が行われているに等しい。ある意味、日々更新されるこちらの人生経験と知識(忘れて失うのもまた更新だ)と音楽を照らし合わされながら音声上は全く同一である楽曲のイメージがどんどん変わっていく。そして、それらのその時々のイメージの記憶もまた蓄積されて、今日の私のように昔のフィーリングを想起して参照したりする。その一連がまた新しいイメージを生み…という過程が際限無く続いていく。同じ曲を何度も聴く、長年に渡って聴き続けるという習慣は、懐古的に見られがちかもしれないがその実かなり前進的な体験なのだ。自分の感じ方の変化を知るには変わらないものを基準にとればよい。自明だが、30年近く続けていけばそこに訪れる感覚はほぼ唯一無二だろう。継続は力なりとはそういった含意もあるのかもしれないな。あれこんな真面目な日記でよかったかしらん?