無意識日記々

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人間五十年

『嫉妬されるべき人生』の歌詞で目を引くのは─大体全部目を引く気がするけれど─『五十年後』というフレーズだろう。なぜそこが具体的な数字なのかというのはやっぱり気になる。

「五十年」といってまず思い出されるのは織田信長が好んだといわれる「敦盛の舞」の一節「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」だ。これの解説は…面倒くさいからWikipedia丸写ししとくか。

── 「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」は、「人の世の50年の歳月は下天の一日にしかあたらない、夢幻のようなものだ」という意味になる。現代において、「(当時の平均寿命から)人の一生は五十年に過ぎない」という意味としばしば誤って説明される場合があるが、この一節は天界を比較対象とすることで人の世の時の流れの儚さについて説明しているだけで、人の一生が五十年と言っているわけではない。

、、、なんだそうな。へぇ。

ということなので、『嫉妬されるべき人生』にある『五十年』とは、この一節を念頭に置いたならば、日常の感覚では「ずっと先」かもしれないが、実際には瞬く間に過ぎる儚い時間でしかない、とかいった含意を持っている事になる。そう思えば『今日が人生の最後の日でも 五十年後でも』という一文の響きも幾らか違ってくるだろう。

解説にある「天界」というのは、ヒカルの作詞感覚からすれば「輪廻転生観」に基づいているように思えるのだが、その話は長くなるからまた稿を改めて、かな。