無意識日記々

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宇多田ヒカル、作詞作曲のルーツとは?

って前回随分偉そうに「リトル・マーメイド」について語っていたけど、実は今までの私、この映画を一度も観たことなくってだね。何故だっのか自分でもわからないが。この度やっと観ましたのよ。

そしてわかったのがサウンドトラックの素晴らしさ。あーこれが6歳のヒカルが初めて自分から選んで聴きたいと思った音楽なのかと。いやはや、音を聴いているだけでもう楽しい。在り来たりも在り来たりな言い方になるが、サウンドトラックアルバムを聴いているだけでアニメーション映画のあの場面やこの場面がありありと浮かんできます。1989年のニューヨークだとVHSの販売やレンタルはなかったのではないかな? 幼き日のヒカル嬢(お嬢呼び懐かしいな~)はそれこそ伸び切れるまでカセットテープを繰り返し聴いて、映画の名場面の数々を想起していたのではないだろうか。1人ごっこ遊びも捗ったに違いない。いや、母娘で丁々発止も楽しそうだなこれ。圭子さんの家庭でのノリはわからんけど。

で。そのサウンドトラックの作詞作曲はアラン・メンケン&ハワード・アッシュマンという2人組で。作曲がアランで作詞がハワードということらしいが、音を聴く限りではかなり密接に音楽と歌詞が絡み合っているので、便宜上のクレジットなのかもしれない。両者が非常に計算尽くで構築し合っていて、とてもよく練られたサウンドと歌になっている。

いやね、よくもまぁミュージカルという縛りの中でここまで韻を踏んだ歌詞を書けるものだなと。普通歌の歌詞では音韻を重視すればするほど文章としては意味不明になっていくものだが、ことこの「リトル・マーメイド」に関してはまさに喋る延長線上に歌がある感じなのにそこから様々にトリッキーな音韻を鏤めてきて方々で唸らされる。

そのように感じさせるのは、そもそもの台詞回しが歌や詩のように美しいからだろうな。つまり、歌が台詞に寄せられていると同時に、台詞の方も歌に寄り添っているのだ。音楽と歌詞が互いに歩み寄っている。それはまるで人間界と人魚の…ってそうい話は今は余計だな。

んでね。このサウンドトラックの、特に歌パートの作り込みに今回確り接して、あれこれひょっとしたらヒカルの“創作の”ルーツってこのアルバムなんじゃないのという気がしてきたのよ。

ヒカルにとって「歌うこと」のルーツは紛う事無くお母様の藤圭子さんで、それについては常に彼女の背を見て声を聴いて生まれ育って生きてきたのだろうが、こと作詞作曲面ではどこまで影響を受けているのか、そこのところはよくわかっていなかった。なので、その点に関しては、寧ろこの「The Little Mermaid - An Original Walt Disney Records Sound Track -」の方が重要なルーツのひとつになっているのではないだろうかなと。そこらへんについて、次回以降触れてみたい。そこから『君に夢中』の話に戻ってくる予定。…予定だから、未定なんだけどね。