無意識日記々

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これだけ余計なお世話な心配もないよな

先週のヒカルパイセンはVogue Worldのイベントに参加してキメッキメだったが、幾つかの投稿の中にアニー・レノックスのパフォーマンスを観たことに関するものもあった。服飾のイベントでもそんなんあんのねぇ。

それでふと心配事。今回はかなりのビッグ・ネームだったから何の問題もないけど、こういうのって必ずしもパイセンが御存知のアーティストが登場するとは限らない、ような? 舞台の上下どちらにも言えることだけども。みんな著名人だろうからねぇ。

初の(こういう)レッドカーペットに登場するのはいいとして、ああいう場って一応社交場なのよね? パフォーマンスする人の名前と顔もそうだし、親しげに話し掛けてくる有名人さんとか居たりするのかな。「…どちらさまでしたっけ?」ってなってないかなぁ?

日本では別に構わなかった。ラジオの選曲を聴けばわかった通り、日本に住んで活躍する時期でもヒカルは邦楽市場に興味はあんまりなく、知らないアーティストとの共演も結構あったと推測される。しかし、なにしろ史上最高アルバム売上アーティスト、ほぼ総てのミュージシャンより有名なのでみなさん「(宇多田ヒカルが)もし自分のことを知っててくれたら嬉しい」という心境だったのではないかな。まー、ヒカルは誰よりも先に帰ってたからアフターで挨拶とか全力回避だったのかもしれんが。

更にここに「NY在住」という「漠然としたイメージ」がきいてくる。実際は学校もずっと日本だったし十代のかなりの時期日本に住んでたんだけど、「いつも海の向こうにいるんなら邦楽アーティスト知らなくてもおかしくないよね」みたいな扱いがずっとあったので、仮に共演者の名前と顔を知らなくても何の問題もなかった。漠然としたイメージって恐ろしい。

今は違う。ロンドン在住で地元やら近場のパリやらで開催されるイベントに顔を出しても「知る人ぞ知る」である。知ってる人は神のように敬うかもしれない一方、「あのアジアンは誰なんだい?」な人も結構居るだろう。勿論皆さんそういう状況には慣れてるだろうけど、そこでヒカルさん、欧米の有名人ってどこまで把握してるのやらと心配になったのでありましたとさ。

トレボヘや熊泡を聴く限りだと、「なりくんほどは深掘りしない」というだけで、かなり広範囲にわたって満遍なく聴いてるという印象なので、寧ろ普通の(ジャンルの偏った)ミュージシャンより知ってそうだなとなる一方、系統だってチェックする習慣がないだけに思わぬところに穴があったりもしそう。もっと言えば、「社交のために音楽を聴く」習慣がなさそうってことね。絵画や映画や書籍でもそうかもしれん。あぁ、「友達の作品を聴いてみる」というのはあるかもしれないわね。似てるようで違うよなぁ。「一般常識とやらを身につけよう」と「知り合いの音を聴いてみよう」では。

ということなんか考えたりするとすると、ヒカルパイセン、キメッキメで参加しつつも結構心労が重なってたりもすっかもね。そんなときはまた息子と猫カフェに行ったりして癒されればいいのか。「かっこよかったよ、ママ」って言われたら疲れた甲斐もあったってもんだわな。つまり、息子が居るから社交の場にも出る気になり我々の目の保養要素が激増するという好循環なのだとしたらここでもダヌ様ぐっちょぶですよとサムアップせざるを得ないのでしたとさ。(←…きっとこのシメこれからも増えてくなぁ…)