無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

無意識との付き合い方、20年間の変化。

ELLE CHINAの特集も興味深いけど、MUSICAのインタビューも頗る面白いぞ。

『そうやって意識的なことと無意識的なことのふたつの世界を常に行き来するというのが、私の生きている環境というか、クリエイティブなプロセスでもあって。そういう二つの世界の間を常に行き来しているのが私なんだなっていうことを最近凄く自覚しています。』

(MUSICA 2023年10月号より抜粋)

「無意識日記」としてはこの発言を取り上げない訳にはいかないだろう。無意識って単語使われちゃあねぇ。この最後の『最近凄く自覚しています。』が大事なのよね。自覚してないと言及することもなくインタビューアが聴くこともなく我々に届くこともないのだから。

意識的な行動は、記憶に残る。理由を話せる。ここで鍵を取り出したのは扉を開けるためだ、という風に。無意識的な行動は、その部分の記憶が欠落しがちだ。なぜそんなことをしたのかわからない。「何気なく」「何とはなしに」「思わず」「いつの間にか」─様々な副詞節が思い浮かぶが、兎に角「行動が先にある」。

その中には「失敗」も含まれる。印象的なのは、『FINAL DISTANCE』の時のエピソードだろう。

『色々ハプニングや失敗もあって、ほんとに完成させられるかすごく心配だったんだよね。でもなんとなんと!そういうことも全部、逆に歌がもっと良くなるきっかけとなっちゃってさ!素敵なエピソードたくさんありまっせ〜。その度に「誰かに守られてるんじゃねーかっ??」と思った。』

https://www.utadahikaru.jp/from-hikki/index_89.html

この「失敗が全部歌がもっとよくなるきっかけになった」という所。一つや二つなら偶然と片付ける事も出来ようが、『全部』と言われたら「お導き」としか思えない。それを神様と呼ぶか、自分の無意識の部分と呼ぶかは人それぞれだ。何しろ、行動したのは間違いなく自分の肉体なので、他者からしたら「私」が成したことでしかないからね。

この時は22年前だが、これが20年経った2年前の頃になるとこんな言い方になる。

『一番面白かったのは、「これで全部大丈夫だね」って彼から(完成)データを送ってもらって、私がそれをミキシングエンジニアのSteve Fitzmauriceに渡したら「あれ、この曲ってベース入ってないの?」と言われて。「あったと思うんだけど……おかしいな」となり、今回のストリーミングライブ『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios』でも参加してもらっているJodi Millinerにスタジオでベースを弾いてもらったんです。

A.G. Cookにその話をしたら、「あっごめん、データにベーストラック入れるの忘れてたみたい」というのが発覚して(笑)。グルーヴがある生身のベースを加えたことで、この曲はもっと良くなったんです。ミスが良いかたちにつながる、今回はその代表的な例でした。』

https://kompass.cinra.net/article/202201-utadahikaru_iwmkr

『今回はその代表的な例でした』と、「よくあること」だとして語っている。『FINAL DISTANCE』の時は

『昔から言い伝えられてる儀式に立ち会ってるようなフッシギィ〜な感覚』

という風に非常に特別視していたのとは対照的だ。この差が20年の経験の差であり、また、「無意識の世界に対して凄く自覚的になった」証でもある。こうしてみても、やっぱりヒカルも大人になったんだなぁとしみじみせずにはいられない。デビューした頃は「15歳とは思えない大人っぽい歌詞を書く」と散々持て囃されていたから余計にね。