無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

この日記は読者のファン歴をどう捉えて書かれてるか

FFさんたちが「ファン歴」についてあれやこれやと語ってはったので、はて、無意識日記ではファン歴についてどういうスタンスでいるのだろうと考えてみた。

まず、読者の想定だがここは真っ先に@utadahikaruに読んで貰うことが念頭にある。なので更新告知ツイートは基本的にヒカル独りに対するメンション形式になっている。それに伴って本文でも滅多にヒカルを指して「彼女」とは呼ばない。ヒカルは第三者では有り得ないからね。従ってノンバイナリ宣言したときもここではそんなに困らなかった。そもそも代名詞で呼ぶ機会自体が少なかったからだ。

少なかった、というからにはたまにはあるわけで、その場合は読者としてファンの皆さんを想定して書いているて、基本的にはリアクションをくれる人が念頭にある。告知ツイートにいいねをくださる方々だわね。貴方たちに関してはプロフィールやツイートをみて、どんなファン歴なのかとか、ブログをチェックする時間帯はいつなのかとかそんなことをぼんやり把握していて、本文の文体はそれを慮りながら書かれている。

なので、自分としては、このように不特定多数に公開しつつも、実感としては十数人~数十人の具体的にファン歴その他をイメージできる人たちに対して書いているので、ファンダムの中でもかなり端っこの方でマニアックなことをあれやこれやと日々考えてる人種を想定しているというイメージでいる。いきおい、事前知識の確認は疎かになりがちだ。この人とこの人とこの人なら熟知してるだろうからここの説明は要らないな、というね。

更に、まずヒカルに読ませるのが前提な為、「ヒカルに通じればいいや」くらいの雑な書き方になることも多々あり。いちばん尊重すべき相手を想定すると雑になるってのは失礼な話なのだがひとまずそれが事実なのでね。

なので、ここ何年かのこの日記は、「人間活動期前からファンをやってる人ならご存知かと思うが」みたいな言い回しが増えている。つまり、人間活動期後にヒカルにハマった方々もここを読みに来てくれてるのねと知ることが出来たからなのだが、逆に言えばその頃から無意識日記を読んでる人にしたら「それはもう前に読んだよ」という内容を繰り返してる日も結構増えていたりする。そこのバランスをとるのは確かに一考を要するのよね。どこまで詳細に説明するのがいちばん読みやすいのか。

そういう基準で迷いが生じた時は「最初の読者は自分なのだから」と言い聞かせる事が多いわね。書かれる時はヒカルを意識しているが、いざ投稿するとなったときに誤字チェックと称して第一の読者になるのは私なので、そんときに読んで意味がわかればいいやというのがまず最低ラインになっている。そして、時間が足りないとかこれ以上字数を増やすとくどくなる(大抵、既にくどい)とかそんな理由で、ほぼほぼその最低ラインに達してたら投稿しちゃう事が多いわね。何も読めないより、少々つまらなくても何か読めるものがあった方がマシだと考えてるからかな。ブランディング意識皆無なものでね。

という風なので、しばしばそこらへんの調整がどっちらけて、前提知識確認の齟齬を生んで読んでて疎外感や寂しさを感じる事があるかもしれないが、それってこの、8000回を越える連載を書いてる人の持ってる「私の基準」に基づいたものに過ぎないのだから、知らなくても全く構わないことである場合が大多数なのだ。だもんで、ファン歴とそれに伴う知識や経験の差については、この日記に於いては「なんか極端な人が極端な事言ってらぁ」というだけでしかないから「気にしない」で居て貰えると私としては書きやすいので助かりますわ。なんか論点ズレてる気がするけどそれも含めて無意識日記なのでありました。