無意識日記々

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もっともっとありふれて

櫻井敦司が亡くなったのか。谷村新司も亡くなったそうだし、ミュージシャンの訃報が続くねぇ。私はプログレファンなので時代的にも年齢的にも亡くなられるのに不思議でない方々の訃報に触れるのは毎月くらいのことなんだけど、現役の人の急逝はキツいわよね。

でも、人が生まれたり亡くなったりなんてのはこの星の上では極々ありふれたことなんだ。だってたった今80億人以上が生きていて、その平均的な寿命はせいぜい3万日前後ってとこなんだから、そりゃ毎日どこかで誰かはって計算になるのよさ。

でも、だからって、ありふれてるからって感情を揺さぶられなくなるってことでもない。ありふれた日常が如何に尊いものか、しみじみ泣きたくなるほどに有難いものなのか、最近はウクライナガザ地区の映像もリアルタイムで入ってきてるから日々それを噛み締めてる人も多いはず。「よくあること」は、つまらないことでもなければ飽きるようなことでもないし、そこでどれだけ感情を揺さぶられるかはその人にしかわかんない事なのよ。

宇多田ヒカルはデビュー25周年だからって、じゃあその間の一日々々がありふれた日々だったかというと、もうそこからしてそんなことはなくってだな。それはもう一喜一憂の日々なんですよ。特に2013年に藤圭子さんが亡くなった時は今後どうなるか不安で仕方がなかったわね。日本列島で人が自死するのは、悲しいことに結構ありふれていて、毎日50人以上の方々が命を落とされている訳だけれど、ヒカルにとっては唯一無二のお母さんだったのだし、演歌歌手藤圭子としても37週連続1位っていう記録を持った超有名人だったからねぇ、多くの人も悲しんだ出来事だった。後にヒカル自身が歌い語る通り、彼女こそが総ての歌だったのだから、その2013年時点ではもうヒカルの音楽家キャリアは途絶えようとしていた訳さ。その後よくラジオを続けてくれたよね。それがまた歩みを始めたのが2015年に新しい命を授かった時だったというのだからこの「新しい総ての歌」のなんと尊いことか。言葉もない。

そんな死と生に支えられての25周年なんですよ。9130日間とかそんなん。300ヶ月ですね。ヒカルが言葉を届けてくれる、歌を届けてくれる日々がもっともっとありふれてくれるように、もっともっとよくあることになるように、更にまた日々を重ねてくれる事が私の、私らの願いなので、お願いだから無理はしないで欲しいわね。気が向いたら何かしてくれれば、きっと今日まで生きてこられた事を総てに感謝すると思います。「生きたい」と言わせてくれる事が、美しいんさ。