無意識日記々

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25年の重みに取り組むモノマネ芸人と本人

近年の幾らかの実演について、昔の曲でキーを下げてるものがあるという話。前も書いたように私は全然キーの違いに気づけない人間なのでそれ自体に余り関心はないのだが、「キーを下げる」ということにネガティブな印象を持つ人も在るかもしれないということでちと付言。

多分だけど、高い声が出なくなった訳ではないんだと思う。声を出すだけなら出るんだろう(将来はわからないが、今のところは)。ただ、2016年以降はかなり発声を変え、低音側の倍音が増している印象なのだ(解析出来る人はしてみて報告して欲しい(毎度思うが、自分でやればいいじゃん(ごもっとも)))。なので昔の曲を歌うときに、地声音域から裏声音域に接続する際、昔と同じキーではメロディと情感の流れがうまく表現出来ないのではないだろうか? 有り体に言えば、低い声と高い声を行き来するメロディを歌った時にちぐはぐな印象を与えてしまうのではないかということだ。

昔は中音域でも今のような声の太さはなく、どちらかといえばか細めな歌い方だった。だからちりめんビブラートと呼ばれる振動数の高い振幅も似合っていたし、儚げな高音部との接続も違和感がなかった。しかし、今の嫋やかでありながらダイナミックな歌唱法で昔の曲を歌うと昔のままの高音部は浮く。そして今は昔の曲を実演する時昔の発声ではなく今の発声で歌っている。とすれば、その違和感を減らすために大胆にキーを下げているという可能性もなくはない。

そこらへんの「歌唱法と発声の変化」の影響をもろに受けているのがミラクルひかるだ。ヒカルのトーク部分に関しては、ここ1~2年のネタまでしっかり押さえながら、目を瞑ったら時々本人と錯覚する程の解像度(…この言葉の使い方、最近雑な用法が増えてきてるので、かなり普及してるんだろうな、ええこっちゃ)を誇っているのだが、最近の歌の方に関してはなかなか似なくて苦戦してるようだ。発声は変わってるし単純に難易度も上がっているからね。我々は何気なく『Laughter in the Dark Tour 2018』や『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』の音源を普段楽しんでいるが、あんなレベルの精度の歌唱を無修正で世に出せるというのは本来顎が外れる程驚くべきことなのだ。近年J-popの女性シンガーの歌唱力に目立った進展がみられない為余計にその異質感、怪物感が際立っている。そもそも、そんな人の歌のモノマネをしようというのが本来ならば無謀なのだが、ミラクルさんはまぁよくぞやり続けてくれている。

つまり、二人の状況は対照的になっているのかもしれないという話。ミラクルさんは、トーク部分のモノマネの驚異的な解像度からすると近年の宇多田ヒカル研究を怠っている訳ではないのだけれど、歌に関しては最近の歌唱の変化に追い付ききれていない。一方ヒカルはヒカルで、最近の曲の歌い方のまま過去曲を歌うときに些かの工夫を施す必要が時折出てきている。それぞれに、昔と今を繋げていくにあたって、25周年という長い歴史の重みを感じながら葛藤と研鑽にまみれているのかもしれない。

そう考えると、ヒカルのMCがいつまでたっても熟(こな)れないのは、とてもいいことだと考える。時期によって歌い方が変わり、歌の質感が変化していく中、合間に挟まれるお喋りが昔と変わらないおどおどっぷりなのをみると、とても安心できるのではないか。5年前を振り返って #LaughterintheDark2018 のツイート動画をチェックしながら、そんな事を考えたりしていたのでありましたとさ。てことで久々におどおどっぷりと慌てっぷりをみたいから、インスタライブやってくんない?(っ´ω`c)