無意識日記々

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『私を迎えに』

詰まる所『お母さんに会いたい』の一言に帰着する嵐神はその前段で自らに許しを与える過程が不可欠だ。苦悩の源は自らに禁忌を課していた事であり、ソレは素直に考えれば"私はお母さんに会いたがっちゃいけないんだ"という幼気な抑圧であり、アクセサリを握り締めて母の帰りをじっと待つ幼き光の生き様であった筈。理屈としてはただワガママを云えば済む所を光は自らに許しを与えれる力がつく迄耐え続けてきた―そう考える。という事は、今光は『私を迎えに』行く力を得たのであり、ソレ即ち光自らが幼き日々に求めた母の姿に近付きつつあること事を意味する。