無意識日記々

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愚痴とも休憩ともつかない独り言

何やら放心状態なのはきっと石川佳純平野美宇のせい。……長かった! 五輪代表争いをずっと観続けてきた身からすれば、ただただ辛い。来月平野美宇は3人目として選ばれるだろうが、石川佳純には意地でも個人戦メダル取って貰いたいわね。

本来なら当選と落選は“Kiss & Cry”として明暗を分けるのだろうが、彼女たちは団体戦でチームメイトとなる予定。これから半年石川佳純平野美宇はダブルスを組み続けるだろう。奪い合った2人がずっと一緒に過ごすのだ。人間力が試される。

五輪の残酷さは大衆の残酷さそのものだ。もし単にプレイ内容だけで賞賛が決まるなら石川佳純平野美宇も殆ど変わらぬ喝采を受けるだろう。大衆の大多数が五輪にしか、五輪のメダルにしか価値を見出さないから実力や成果のなだらかさに断絶ができる。それだけのことだ。

これでも、よくなったのだ。1984年以前の五輪競技においては、金メダリスト以外は全く注目されなかった。それが、1988年のソウルとカルガリーアルベールビルあたりから銀銅含めた「メダリスト」全員を称えようというテコ入れが行われた。それでやっと注目度が増えた歴史がある。勿論、お陰様で「3位と4位の格差」は凄まじい事になっているのだが。

一瞬の、ほんの数ミリの差で人生の命運が決まっていく。プロスポーツは過酷に過ぎる。

勿論、音楽家だって過酷な事に変わりはない。殆どのミュージシャンにとって聴衆で一杯の会場は夢見物語だ。幕を開けたら満員の観客席が迎えてくれるケースはほんのひと握り。実力と言い切れるならまだ清々しいが、大体においては、自分と変わらない実力の同期同僚が憂き目に遭っているのをただただ眺めていることしか出来なかったりする。

恵まれているからといってそれを活かしなさいと言える訳でもないのだが。これもまたパワーバランスでしかない。でも、そういうやるせなさの中で生きている。また時代が更に変わることを期待しますか?