論点を整理すると、LettersやBWで対象を母だと設定して話が通じるのは、光が母をガッチリ想定して作詞した為という訳では、ない。額面通りに受け取るのが勿論真っ当な解釈だし真実なのだが、嵐神自体が元々母以外の別の人に向けた歌になりそうだった事を想起。"思いのカタチ"が光の中に先にあって、その感情を当てはめられる対象を後から特定するという作詞過程を経るのなら、今迄挙げてきた曲の"思いのカタチ"自体に共通項が在るから"母"というキーワードで貫けるのであって、リスナーが各々に特定の誰かを思って曲を聴ける様光は予め設えていると解釈すべきだろう。